柴田峡

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カタカナ シバタ ケイ
ラテン文字 SHIBATA Kei
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-12-08) 1965年12月8日(60歳)
柴田 峡
名前
カタカナ シバタ ケイ
ラテン文字 SHIBATA Kei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-12-08) 1965年12月8日(60歳)
出身地 東京都練馬区[1]
身長 173cm[2]
体重 70kg[2]
選手情報
ポジション DF[1]
利き足 右足[2]
ユース
1981-1983 日本の旗 石神井高校
1984-1987 日本の旗 東京学芸大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1990 日本の旗 全日空 0 (0)
1992 日本の旗 東京ガス
通算 0 (0)
監督歴
1994-1996 日本の旗 東京ペレ八王子JY
1997-1998 日本の旗 東京ガスJY
1999-2002 日本の旗 FC東京U-18
2005-2008 日本の旗 東京ヴェルディユース
2010 日本の旗 流通経済大学FC
2017 日本の旗 ブリオベッカ浦安
2020-2021 日本の旗 松本山雅FC
2022-2024 日本の旗 ラインメール青森
2026- 日本の旗 福井ユナイテッドFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柴田 峡(しばた けい、1965年12月8日 - )は、東京都練馬区出身[1] のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)[1]東京都立石神井高等学校[2]東京学芸大学[2]、東京学芸大学大学院修士課程修了[2]日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。

大学卒業後、全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)へ入団。東京ガスサッカー部(現、FC東京)移籍後現役を引退し、東京ガス主催によるサッカースクール「東京ペレフットボールクラブ」にて指導者としての活動をスタート。FC東京の下部組織で指導に当たり、2001年にはFC東京U-18第1期生[3] を率いて、クラブユース選手権優勝を果たした。ユースでは、競技面だけでなく礼儀作法や学業面についても厳しい姿勢で臨み、社会に出ても活躍できる精神的逞しさを持った人物を育てる方針を貫いており[3][4]2003年より配属された強化部では、新人選手の教育を任されていた[1]

2005年に同じく東京を本拠とする東京ヴェルディユースの監督に就任。同年のクラブユース選手権高円宮杯の2冠達成へ導く実績を残した。2007年S級ライセンス取得[5]2009年にトップチームのコーチに就任し、高木琢也監督をサポートした。

2010年に流通経済大学サッカー部コーチ[6]2011年から松本山雅FCコーチに就任[7]。教育者としての熱を維持したまま松本でも真摯に取り組み、業界からも“熱血漢”と称される[8]

2017年7月よりJFLブリオベッカ浦安監督に就任[9]。当時「熱を持っている大人」としてゲキサカから取材を受ける。[10]11月12日に契約満了により退団し[11]、11月24日に松本山雅FCの編成部長就任が発表された[12]。クラブの戦略に沿った戦術立案に努め、反町監督とチームを支えた。[13]

2020年9月25日、解任された布啓一郎の代理監督として松本山雅FC監督に就任[14]。2021年も監督続投として正式に任命されたが、2021年6月21日に解任[15]

2021年12月24日、ラインメール青森の監督に就任[16]。堅守をベースとしたサッカーで、1年目は4位、2年目は5位の戦績を収める。2年目は昇格目前まで漕ぎ着けたが[17]最終戦で惜しくもチャンスを逃した。[18]3年目となる2024年9月、「公式戦時におけるハーフタイムにおいてホワイトボードを叩きつけるなど」の乱暴な行為によりクラブから謹慎、制裁金、4試合のベンチ入り停止処分を科された[19]。最終順位は10位となり、昇格のミッションを達成できなかったことを理由に2024年シーズンで退任となった[20]

2026年2月3日、福井ユナイテッドFC監督に就任した[21]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1988-89全日空26JSL1部0000
1989-900000
1991この間不明
1992東京ガス23旧JFL1部-
通算日本JSL1部 0000
日本旧JFL1部 -
総通算

指導歴

監督成績

脚注

外部リンク

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