森井茂
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宇治山田商業から大津晴嵐クラブを経て、1936年に名古屋軍へ入団。同年9月23日の対名古屋金鯱軍戦でプロ初勝利。当時のプロ野球は春・秋の2シーズン制だったが、1936年秋シーズンは26試合に登板して8勝5敗の成績を挙げ、これは沢村栄治(13勝2敗)に次ぐリーグ2位の成績だった[1]。
1937年春シーズンに初めて開幕投手に起用されると、以後1937年秋・1938年秋・1941年・1944年・1946年と計6回開幕投手に起用された。これは2014年に川上憲伸に抜かれるまで中日ドラゴンズの球団記録だった[1]。この内、1937年8月29日の秋季リーグ開幕戦、イーグルス戦(西宮球場)では、イーグルスの藤野文三郎と投げ合い、当時のプロ野球記録となる1試合最短試合(57分)を樹立した[2][3](試合はイーグルス打線を完封して勝ち投手になった)。なお対巨人戦では1938年春から1944年にかけ15連敗を喫しており、これは戦後に大石正彦(大洋)が同じく巨人戦で16戦連敗(後に17連敗まで伸びる)を記録するまで、同一カードにおける投手の最多連敗記録であった[4]。
名古屋時代は1938年9月11日の登板を最後に登板機会がなかったことから、シーズン途中に応召されたものと思われる[5]。その後1940年の満州リーグでの名簿に名前が載っていることから、この時点では除隊していたと思われる[5]。その後1940年11月9日の巨人戦で久しぶりの公式戦のマウンドに立った[5]。
1946年のシーズン終了後中部日本軍を退団し、地元の全宇治山田で3年間プレーした後、1950年に広島カープでプロに復帰したが、1年間のみのプレーで同年引退した。妻によれば戦争中に肺を患ったことで、野球選手としての選手生命を縮める結果となったという[1]。
スローボール(現在でいうチェンジアップのようなボール)を武器にしていた。関係者によれば下手投げの超スローカーブが決め球であったという[1]。