渡辺誠太郎
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 秋田県秋田市 |
| 生年月日 | 1922年2月8日 |
| 没年月日 | 2013年6月22日(91歳没)[1] |
| 身長 体重 |
182 cm 71 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手、一塁手 |
| プロ入り | 1941年 |
| 初出場 | 1941年 |
| 最終出場 | 1951年 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)2月8日 - 2013年(平成25年)6月22日[1])は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手。
秋田市立土崎商業学校(現:秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、1941年に阪神軍に入団。その後、1944年(昭和19年)に応召。
1946年から大阪タイガースに復帰。同年は開幕投手を勤め、10勝を挙げる(12敗)。同年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では、13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間が僅か55分という、日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。この試合ではパシフィック先発の湯浅芳彰と投げ合い、被安打5・88球で完封勝ちした。
1948年に、太陽ロビンスに移籍。さらに1951年には大洋ホエールズに移籍し、同年末に引退した。
球速は速くないものの、大きなドロップを武器とした軟投派投手であった。また身長182cmと、この時代ではかなりの長身であった。
一塁手としての出場もあり、特に1946年(昭和21年)には、投手以外に48試合に出場し、打率.288、2本塁打、33打点という成績を残している。