曽根保夫

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生誕 (1950-03-09) 1950年3月9日(76歳)
身長 161 cm (5 ft 3 in)
体重 70 kg (154 lb)
国籍 日本の旗 日本
曽根 保夫
Yasuo SONE
基本情報
生誕 (1950-03-09) 1950年3月9日(76歳)
身長 161 cm (5 ft 3 in)
体重 70 kg (154 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県[1]
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曽根 保夫(そね やすお、1950年3月9日 - )は、愛媛県出身のプロゴルファー

愛媛県立松山商業高等学校出身[2]

19歳からゴルフを始め、1982年にプロ入りする[2]

1984年デサントカップ北国オープンでは初日を海老原清治内田繁坂東治彦金井清一栗原孝山本洋一と並んでの7位タイ[3]でスタートし、3日目には磯崎功吉武恵治鈴村照男と並んでの5位タイ[4]、最終日には泉川ピート・鈴村照と並んでの6位タイ[5]に入った。

1985年デサント大阪オープンでは吉川一雄杉原輝雄宮本康弘小林恵一磯村芳幸寺元明男に次ぎ、中尾豊健・山本と並んでの7位タイ[6]に入った。

1988年関西オープンでは初日を渡辺修・山本・杉原と並んでの24位タイ[7]でスタートし、2日目には中松幹雄平石武則金山和雄と並んでの2位タイ[8]、3日目には首位[9]に浮上し、最終日には前田新作に2打差付けて優勝[10]

1990年にはツアー開幕前に最後の開催となったくずは国際[11]川俣茂と共に初日69、最終日66をマークし、7位タイに入った[12]

1990年のよこはまオープンでは最終日には66をマークし、山本己沙雄藤間達雄並木弘道と並んでの5位タイに入った[13]

1990年のデサント大阪オープンでは初日に上出裕也と共に66をマークして首位タイ[14]でスタートし、最終日には木本挙国と並んでの3位タイ[15]に終わった。

1995年にはアメリカフロリダミニツアーに参戦し、技術面ではデビッド・レッドベターのアカデミーで主にショートゲームをレッスンしてもらい、パターが確実に良くなった[16]

2000年からはシニアに転向し、キャッスルヒルオープンでは5位[17]、藤田観光オープンでは須貝昇にプレーオフで敗れて2位[18]コマツオープンでは秋富由利夫上野忠美上原宏一と並んでの4位タイ[19]に入った。

2001年にはキャッスルヒルオープンで小川清二と並んでの7位タイ[20]、第1回ファンケルクラシック藤間達雄堀口渡森本俊治と並んでの5位タイ[21]2002年には日本プロシニアでは上野・小林富士夫中村通山本善隆と並んでの9位タイ[22]に入った。

2006年には近畿オープンで井戸木鴻樹水巻善典高崎龍雄を抑えて優勝し[23]PGAフィランスロピーリボーネストシニアでは中尾と並んでの6位タイ[24]に入り、日本プロ[25]を最後にレギュラーツアーから引退。

2012年ISPS HANDA CUP 灼熱のシニアマスターズでは初日に強風で全体的に伸び悩む展開の中、尾崎健夫加瀬秀樹と2アンダーで首位に並ぶスタートを切った[26]。最終日にはスコアを伸ばせず、加瀬・室田淳福沢孝秋と並び通算1アンダーの2位タイ[27]に終わった。

主な優勝

脚注

外部リンク

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