死者の学園祭
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80年前、手塚学園に二人の男女が想いを寄せ合っていた。男はドイツから招かれた美術教師のメトカフ、女は学園長の娘で音楽教師の手塚澄子。メトカフには妻子がドイツにおり、当然二人の恋は周囲から猛反対を受けていたが、それでも澄子は講堂にあるピアノを弾き続け、美術室のメトカフとの絆を紡いでいた。しかし、ある日学園長が講堂から礼拝堂にピアノを移したため、澄子のピアノの音は美術室に聞こえなくなってしまう。メトカフは澄子の愛が冷めたと誤解し、澄子に対して「青い瞳の天使」という一枚の絵画を残して学園から姿を消し、澄子は悲しみの余り校舎から身を投げて自殺してしまった。その後、学園長は娘への謝罪の意を込め、ピアノを講堂に移した上でその脚を床に打ち付けて動かなくし、以後そのピアノは「張リ付けのピアノ」と呼ばれるようになった_。
それから月日が流れ、手塚学園演劇部部員の山崎由子が、ある日校舎から飛び降り自殺を遂げる。その親友で演劇部部長の結城真知子は、自殺した親友の由子が遺した台本「青い瞳の天使」を学園祭で上演しようと駆け回っていた。それは、メトカフと澄子の恋、そして張り付けのピアノを題材としたものだった。しかし、その伝説に迫ろうとする真知子達の周囲で次々と事件が起きる… 。真知子は事件の真実に演劇部顧問の倉林や転校生の神山らの助けを得ながらその真実に迫ってゆく。
映画
| 死者の学園祭 | |
|---|---|
| 監督 | 篠原哲雄 |
| 脚本 |
安倍照男 山田珠美 |
| 出演者 |
深田恭子 加藤雅也 内田朝陽 筒井康隆 根津甚八 |
| 音楽 | 溝口肇 |
| 撮影 | 柴主高秀 |
| 編集 | 冨田功 |
| 製作会社 | 「死者の学園祭」製作委員会(角川書店・ホリプロ・東映・アスミック・エース エンタテインメント)[1] |
| 配給 | 東映[1] |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 101分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 興行収入 | 5億5100万円[2] |
2000年8月5日東映系公開[3][4][5][6]。ホリプロ40周年記念映画[7]。深田恭子の初主演作品であり[8]、劇中でピアノを披露した[6]他、主題歌も歌唱している[8]。同時上映は『仮面学園』[7]。
出演
- 結城真知子(手塚学園生徒・演劇部部長)… 深田恭子
- 倉林勇(手塚学園国語教師・演劇部顧問)… 加藤雅也
- 神山英人(手塚学園生徒・転校生)… 内田朝陽
- 柳田真弓(手塚学園生徒)… 坂本三佳
- 小野治子(手塚学園生徒)… 林知花
- 山崎由子(手塚学園生徒)… 黒澤優
- デビット・ソンヒル(手塚学園高校教師)… セイン・カミュ
- 佃潮… 上田耕一
- 西田富美夫… 伊藤洋三郎
- 福森貴夫… 山田幸伸
- 後援者… 側見民雄
- 演劇部… 金子貴俊
- 浦澤和泉… 宮崎美子(友情出演)
- 手塚和彦(手塚学園学園長)… 筒井康隆
- 結城正造(手塚学園理事・同学園美術館「エレミヤ館」館長、真知子の父)… 根津甚八
スタッフ
- エグゼクティブプロデューサー… 原正人
- プロデューサー … 柘植靖司、井上文雄
- 製作担当… 木次谷良助
- 監督 … 篠原哲雄
- 脚色 … 安倍照男、山田珠美
- 原作 … 赤川次郎
- 撮影 … 柴主高秀
- 音楽 … 溝口肇
- ミュージック・エディター … 浅梨なおこ
- 美術… 稲垣尚夫
- 録音… 山田均
- 照明 … 豊見山明長
- 編集 … 冨田功
- 製作 … 「死者の学園祭」製作委員会(角川書店、ホリプロ、東映、アスミック・エース エンタテインメント)
- 配給 … 東映
主題歌
- 深田恭子「How?」 (PCCA-01451)
製作
1970年代に山口百恵映画(モモトモ映画)で一時代を築いたホリプロと、1980年代に薬師丸ひろ子らで同様に一時代を築いた角川映画がタッグを組み、一時下火になっていた「アイドル映画」の復活を目指して[9]、藤原竜也主演の『仮面学園』と共に製作を決めた[7][9]。当時のアイドル映画は、日本国内では興行面で不振が続いていたが、アジアの若者の間に日本ブームが広がっており、人気アイドルが出演する映画はアジア圏でよく売れていた[9]。主演の深田を始め、ホリプロ所属の役者も多数出演する。深キョンはすでにCM、テレビドラマで大人気のスーパーアイドルだった[6][10]。
演出
1999年12月末に角川映画サイドから篠原哲雄に監督オファーがあり[6]、角川から「これまでのあなたの作品はゆったりしているけど、これはそうではない。角川的な商品として捉えることが出来ますか?」といきなり釘を刺された[6]。「何でもやりますよ」と答えたが、信用されず、その後も細かな演出プランなどを聞かれ、面接を受けているようだったという[6]。1カ月後に正式に監督に決まった[6]。さらにプロデューサーから「基本は真知子が事件を通して、どう成長していくかであり、だからあなたを選んだんだ」と言われたという[6]。
篠原監督は「アイドル映画は1990年代に入ってからは、あまりないんですよね。1980年代に薬師丸ひろ子が出て、渡辺典子でいったん中断しています。2000年になって『死者の学園祭』のようなアイドル映画を作ったということは、今後、世間に受け入れられるかどうかという問いかけだと思うのです」「僕も昔、角川映画を観ていました。アイドル映画なんだけど、恐い部分もあったりするので、両方のバランスを上手く取ることを考えていました。また、原作が赤川次郎さんということもあり、作家性を生かすことにも気を使いました。赤川さんの原作には《赤川ワールド》ともいえる軽妙な雰囲気があると思います。そういうテイストは、映画になっても失ってはいけないと思うんです」「若い人達は『リングシリーズ』や『スクリームシリーズ』のような恐いものになれています。『死者の学園祭』はタイトルから受けるイメージは、一見、恐い感じもします。でも、そんなに恐くはないと思うし、それをウリにした映画ではないんです。深田恭子さんのファンが核になるでしょうけど、ただ、私としては、映画をよく観る若い女性をどれだけ引っ張れるかなと考えています」などと述べている[5][6]。
キャスティング
転校生・神山英人を演じる内田朝陽は、千葉県内の高校に在学中の2000年2月、ホリプロが主催した「21世紀ムービースターオーディション」で応募1万7404人の中からグランプリに選ばれ本作で俳優デビュー[11]。
撮影
撮影は2000年3月後半から4月にかけて行われた[12][13][14]。関東近郊の女子大や女子高のキャンパスでロケが行われた[15][16]。時折画面に映る桜は実際に咲いてる桜[15]。エンドロールに野田商工会議所関係者のみなさん、鎌田学園のみなさんと、撮影協力としてルーテル学院大学が表記される。2000年4月22、23日に千葉県野田市内でクライマックスにあたる学園祭シーンの撮影が行われた[17]。他に東京都代官山でロケがあった[18]。
深田恭子はピアノは得意ながらクラシックを弾くのは久しぶりで特訓をした[6]。ピアノシーンは吹き替えなし、音も同録[6]。深田は「早く女優と呼ばれるようにはなりたいです」と述べていた[14]。