水野貴広

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国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県
生年月日 (1972-11-02) 1972年11月2日(53歳)
身長 164cm
水野貴広
水野貴広 調教師 浦安特別
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県
生年月日 (1972-11-02) 1972年11月2日(53歳)
身長 164cm
体重 51kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦飯塚好次(1991.3 - 1995.9)
美浦・フリー(1995.10 - 2004.11)
美浦・的場均(2004.11 - 引退)
初免許年 1991年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2005年5月31日
通算勝利 2828戦102勝
調教師情報
初免許年 2006年
経歴
所属 美浦・的場均厩舎(2005.6 - 2006.2)
美浦T.C.
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水野 貴広(みずの たかひろ、1972年11月2日 - )は、群馬県出身の元騎手調教師

父は高崎競馬場所属の調教師であった水野清貴双子の弟も地方競馬の元騎手で、現在は浦和競馬場所属の調教師・水野貴史

競馬学校7期生として河北通郷原洋司四位洋文土谷智紀徳吉孝士橋本広喜日吉正和藤田伸二宝来城多郎安田康彦と同期になり、卒業後の1991年美浦飯塚好次厩舎からデビュー。

1年目の1991年には3月2日中山第4競走4歳未勝利・カシマダイオー(12頭中4着)で初騎乗[1]を果たすと、同31日のには日経賞・ハッピーシャトーで重賞初騎乗[2]も果たし、10頭中10番人気ながら5着[2]に入った。4月7日の中山第3競走4歳未勝利・カイウンカンノンで初勝利[2]同20日東京で初の1日2勝[3]9月21日22日の中山では初の2日連続勝利[4]を記録。

1991年8月10日新潟第3競走3歳新馬[5]では既に調教で何回かコンビを組み、「体の柔らかい、扱いやすい馬」という印象を持っていたライスシャワーのデビュー戦を任される[6]。新馬とは思えないほどの絶妙のタイミングで好スタートを切り、先頭に立つと、アイネストキオが並びかける[7]。外から本命馬ダイイチリユモンとアイネスブレーブが先頭争いに加わり[7]、アイネスブレーブがハナに立ち[8]、ライスシャワーは前半3番手と、まずまずの好位置に着ける[9]。4番手との距離が少しずつ開いていき、4コーナーのカーブに差しかかって、残り400mでライスシャワーが先頭に立つ意志を見せると、大外から被せるように2番手のダイイチリユモンが先頭のアイネスブレーブに襲いかかり、コーナーの出口で3頭が横一線に並んだところで水野はムチを入れる[9]。間をおきながら3発のムチを入れると、最内のアイネスブレーブの脚が衰えを見せ始め、完全にダイイチリユモンとの先頭争いに絞られる[9]。ダイイチリユモン鞍上の増沢末夫が必死にムチを入れる中で水野はムチを入れず[9]、先頭に立ってからは少しずつ差が開いていき、最後はダイイチリユモンが先頭へ競りかける気力を失いながらもクビ差まで迫られたが、首を前に突き出すような独特のフォームでゴールし、58秒6の好時計をマーク[10]。水野は後年このレースについて「調教の時から、この馬は走ると思った。ふつう新馬戦というのは、不安と期待が半々なんですが、この新馬だけは絶対に負けないと自信をもって乗りました」と振り返っている[11]

重賞初出走となった2戦目の新潟3歳ステークスでは水野が前日に騎乗停止処分を受けたことから急遽菅原泰夫が代役を務め[12]、3戦目の芙蓉ステークスがコンビが復活。好スタートを切ったが、初のマイル戦で中団以下に着けて様子を伺う[13]。前日からの雨が残る重馬場で淡々としたペースの中、外から少しずつ順位を取り戻し、残り800mの時点では3番手の好位置に付ける[13]。4コーナーを回ったところで先頭に立つと[13]、2番手との差が見る間に開いていき、直線は大外から来たアララットサンとの叩き合をアタマ差で交わし、2勝目を挙げる[14]。新馬戦と同様に競い合って強い勝ち方で3戦2勝とし[14]、2勝は共に水野の手綱[5]であったが、芙蓉Sの後に右前脚の骨折が判明し、全治3ヶ月と診断され、トレーニングセンター内での療養が図られた[15]。復帰戦となった1992年スプリングステークスは若手の水野では荷が重いとの判断から柴田政人が騎乗し[16]、引退まで水野が騎乗することはなかった[5]

1991年の関屋記念ではセントビッドでニフティニースの5着[17]クイーンステークスではマーキーソロンでイナズマクロスの2着[18]に入り、10月26日の東京第7競走4歳以上500万下では9頭中9番人気の関西馬ロングロメオで勝利して枠連・馬連万馬券[19]の波乱を起こすなど、初年度から2桁勝利の13勝[20]をマーク。

2年目の1992年には6月14日の東京第6競走4歳未勝利で14頭中14番人気のタケホープ産駒セイカスペクタクル[21]で2着に入って馬連3万馬券[22]12月20日の中山第9競走師走ステークスでは16頭中15番人気のキョウエイプロミス産駒エヌケーボーイ[23]で2着に入って馬連7万馬券[24]12月26日の中山第12競走4歳以上900万下では16頭中12番人気のホリスキー産駒マルダイダンサー[25]で2着に入って馬連2万馬券[26]の波乱を起こす。

3年目の1993年には7月17日の新潟第10競走新津特別をライスシャワーの妹ライラックスマイルで勝利し[27]8月28日の新潟第6競走4歳未勝利では父ドウカンヤシマ・母父シンザンのドウカンミライ[28]で14頭中13番人気ながら2着に入って枠連・馬連万馬券[29]の波乱を起こす。同年は2年ぶりの2桁となる14勝をマークし、1995年まで3年連続2桁勝利を記録するが、結局この年が自己最多となった[20]

1994年にはサンデーサイレンスの初年度産駒の一頭であるノースショアーで新馬を逃げ切り[30]、新潟3歳ステークス2着[31]に入ったほか、11月13日の東京第2競走3歳新馬ではベルグフウジンでアイネスフウジン産駒に初勝利をもたらした[32]

1995年のクイーンステークスではライズライズで4コーナー最後方からメンバー中最速上がり36秒4の脚を使ってサクラキャンドルの4着[33]に入り、10月よりフリーとなるが、同年の11勝が最後の2桁勝利となった[20]

1996年1997年にはダート戦線をユーコーマイケルとのコンビで活躍し[34]、1996年には「OROパーク」として新設移転した盛岡に舞台を移した[35]ダービーグランプリ皐月賞イシノサンデーの2着[34]、1997年には盛岡のクラスターカップで4着までアタマ、ハナ、クビの接戦の中3着[36]大井東京盃では中央勢最先着の3着[37]に入った。

1997年8月23日の新潟第5競走4歳未勝利で18頭中13番人気のマウントエースで16番人気チェリーライデンの2着に入り、馬連10万1200円と同年の新潟の最高配当、JRA全国でも同年5番目の高額配当となる波乱を起こす[38] [39]

1998年4月11日の中山第2競走4歳未出走・ドクタークロスでドクタースパート産駒に初勝利をもたらし、同馬では1999年1月24日の中山第7競走4歳以上500万下でも勝利するが、ドクタースパート産駒が中央で挙げた4勝中2勝は水野の手綱であった[40]

2002年には中山で行われた京王杯2歳ステークス的場均厩舎のロケットパンチに騎乗しブルーコンコルドの4着[41]が最後の重賞騎乗[42]となり、2003年にはヤマニンアラバスタで全く人気が無かった新馬戦を直線だけで7着まで押し上げ[43]、3戦目に勝ち上がるが[43]、サフラン賞(500万下)を最後に騎乗することはなかった[44]

2004年には4月11日の中山第12競走4歳以上1000万下・サザンクロスビコーで通算100勝[45]を達成し、11月より的場厩舎所属となり、11月7日福島第5競走3歳以上500万下・ウエスタンウッズで最後の勝利[45]を挙げた。

2005年5月21日の東京第6競走3歳未勝利・シルクバックボーン(14頭中4着)が最後の騎乗[46]となり、同31日付で嶋田高宏と共に現役を引退[47]

引退後の6月より的場厩舎の調教助手[47]となり、2006年2月に調教師免許を取得。当初は10月1日付で12馬房で厩舎を開業する予定であったが、富田一幸厩舎解散に伴い、6月1日付で14馬房で開業した。厩舎所属馬の初出走は6月11日の東京第4競走・ニシノツバメが17番人気で13着となる。8月12日の新潟第2競走で3番人気だったカネショウサンデーが勝利し、のべ17頭目で初勝利を挙げる。

2007年2月20日に地方競馬初出走。大井競馬場のフォーチュネイト水仙特別で双子の弟である貴史がリアルファンタジーに騎乗し、7着となった。

2010年新潟2歳ステークスマイネイサベルで制し、騎手時代を通じて中央競馬重賞初勝利を挙げる。

騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地 1011301472809.036.082
障害 12219.053.158
1021321492828.036.083
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1991年3月2日2回中山3日4R4歳未勝利カシマダイオー12頭24着
初勝利1991年4月7日3回中山6日3R4歳未勝利カイウンカンノン16頭61着
重賞初騎乗1991年3月31日3回中山4日11R日経賞ハッピーシャトー10頭105着

主な騎乗馬

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2006年6月11日3回東京8日4R3歳未勝利ニシノツバメ17頭1713着
初勝利2006年8月12日3回新潟1日2R3歳未勝利カネショウサンデー14頭31着
重賞初出走2007年11月10日5回東京3日11R京王杯2歳Sハートオブクィーン15頭510着
重賞初勝利2010年9月5日3回新潟8日11R新潟2歳Sマイネイサベル17頭91着
GI初出走2007年12月2日5回阪神2日11R阪神JFハートオブクィーン18頭1411着

主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

脚注

関連項目

外部リンク

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