郷原洋司

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国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1972-11-06) 1972年11月6日(52歳)
身長 167cm
郷原洋司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1972-11-06) 1972年11月6日(52歳)
身長 167cm
体重 50kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦田村駿仁(1991 - 2002)
美浦・騎手(フリー)(2002 - 2010)
初免許年 1991年3月2日
免許区分 平地
騎手引退日 2010年12月31日
2010年12月26日(最終騎乗)
重賞勝利 2勝
通算勝利 7265戦281勝
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郷原 洋司(ごうはら ひろし、1972年11月6日 - )は、茨城県出身の元騎手・現調教助手

父は元騎手で元調教師郷原洋行吉野勇は外祖父。得意の騎乗は逃げ

1991年3月競馬学校7期生として、美浦田村駿仁厩舎からデビュー。同期には藤田伸二四位洋文安田康彦橋本広喜日吉正和らがいる[1]。父・洋行は後に「最後の1年は倅に付き合ったようなものでした。彼は函館で落馬をして生死の境をさまよったことがあった。不幸中の幸いで、復帰できたけど、その後の人生は“もらった命”だから好きにすれば良いと思いました。だから引退すると聞いた時もとくに止めませんでした」と振り返っている[2]

1年目の1991年は同2日中山第1競走4歳未勝利・スタールーラ(13頭中10着)で初騎乗を果たし、6月9日東京第6競走4歳未勝利・ゴールデンテシオで降着による繰り上がりながら初勝利を記録。同日には第10競走石和特別でフェザーマイハットに騎乗し、降着によらず2勝目を挙げている。同年から初の2桁となる11勝をマークし、2003年まで13年連続2桁勝利を記録。2年目の1992年新潟3歳ステークス・マジックナイス(12頭中5着)で重賞初騎乗を果たし、同レースには父・洋行もスピードアクセス(7着)に騎乗しており、親子重賞騎乗を果たした[3]。3年目の1993年にはフェブラリーハンデキャップ安田伊佐夫厩舎のシンワコウジに騎乗し、メイショウホムラに次ぐと同時にミスタートウジンナリタハヤブサチェリーコウマンを抑えての2着で関西馬ワンツーを演出。1992年・1993年と2000年2001年は2年連続、1996年から1998年には3年連続で20勝台を記録し、1996年の札幌スプリントステークスではオギティファニーでJRA全10場重賞制覇の安田富男が騎乗するノーブルグラスから3馬身差の2着に入る。1998年と2000年には自己最多の26勝を挙げ、1999年ダイヤモンドステークスでは13頭中10番人気のロングワールドでタマモイナズマの逃げ切り許すも2着に入る。

2000年には騎乗数を500の大台に乗せ、この頃より重賞への騎乗も増加。2001年には七夕賞をゲイリートマホークで逃げ切って重賞初制覇を記録し、オールカマーでも逃げて2着に入る。騎手(フリー)となった2002年カブトヤマ記念ではデビュー戦より主戦を務めたカンファーベストに騎乗し1位入線するも、明らかな斜行により他馬の進路を妨害したとして10着に降着となるが、この騎乗が注目を浴び、『中央競馬ワイド中継』内の企画「中央競馬ベストレース・オブ・ザ・イヤー2002」において、他にGIレースが並ぶ中でこのカブトヤマ記念が7位に選ばれた。

2003年フローラステークスでは初コンビのシンコールビーに騎乗し、陣営から授けられた「決め手を生かせ」という策通りに差しに徹し、快走なったばかりで従来より25m長くなった直線の攻防から滑らかに抜け出す[4]。馬単は重賞史上最高配当という記録的波乱を起こし[4]、管理していた湯窪幸雄厩舎に重賞初制覇をもたらすが、郷原にとっては最後の重賞制覇となり、その後は騎乗機会・勝利数共に減少。父が元騎手で調教師であることもあって他の騎手と比較して人脈に恵まれており、一時よりは減少したとは言え騎乗数は多い方であったが、その恵まれた環境を活かし切れていない状態が続く。

2004年以降の勝利数は1桁と低迷し、9勝→5勝→5勝と減っていき、2007年には自己最低の1勝に終わる。2004年はアンタレスステークスヒシアトラス目黒記念ダービーレグノ東海ステークス・ヒシアトラスと重賞騎乗機会3連続3着を記録。2008年は3勝を挙げるが、3勝中2勝はウエスタンビーナスの逃げ切り勝ちでマーク。同年の初勝利となった韓国馬事会杯(1600万下)は後にGI馬となるエイジアンウインズに3馬身差付け、2勝目となった春雷ステークスはアイルラヴァゲインを封じた。2009年2月7日の東京第1競走3歳未勝利をスノーレーザーで勝利するが、管理する父・洋行は同年初勝利であったと同時に調教師通算100勝目であった。翌8日の東京第1競走3歳未勝利ではユウキハングリーで逃げ切り、2004年11月の東京以来となる2日連続勝利をマーク。2010年5月15日の東京第5競走3歳未勝利でユウキサンオーラに騎乗し、同期の藤田が騎乗し逃げ切り図るホットチリペッパーを交わして勝利するが、郷原父子最後の勝利となった。12月26日の中山第11競走ハッピーエンドプレミアム・トミノドリーム(16頭中16着)が最後の騎乗となり、同31日付で現役を引退[5] [6]

引退後は土田稔厩舎の調教助手となった[5][6]

騎乗成績

関連項目

脚注

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