油山
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油山事件
昭和20年(1945年)8月10日、現市営火葬場近くの雑木林で、旧日本軍人が米軍捕虜のB-29搭乗員8名を殺害する事件が起きた(油山事件)。西部軍では、他に同年6月20日に西部軍司令部構内で8人の捕虜が殺害される事件、8月15日にやはり油山で15人の捕虜が殺害される事件が起こっていて、西部軍事件と総称される。
2番目のこの事件が油山事件として特によく知られている。実行現場で上官の一人が、5人(一説には6人)まで斬首させ、あらかじめ指示して弓矢を持参させていた士官に1人を射殺させ、さらに、空手で人を殺せるか試すためとして、2人(一説には1人)を空手で処刑しようとしたが容易に出来ず、陸軍中野学校出の空手の経験者6名ほどに次々と暴行させ続けた[3][4]。それが戦後に戦犯裁判を通して明らかになったためである[5][6]。
戦犯裁判では、処刑を命じた当時の上官らは関与を否定し、責任を押し付け合ったという[7][8]。命令関与した者達は戦後BC級戦犯として処罰され、後に阿部源蔵(第24代福岡市長)が慰霊碑を建立した。
経路
天神の繁華街から車で十五分程度。
