浅井良二
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人物
「1か月前に誕生日プレゼントを届ける」「全員が集合しきっていない状態で集合写真を撮るため、みんな目が半開きの写真」などのエピソードがあるほど、せっかちな性格や[10]、私服が派手だったことでも知られ[11]、それは自分の事務所の所属タレントの小堺一機、関根勤によるラジオ番組『コサキン』シリーズ(TBSラジオ)でよくネタにされたこともあった[12]。また、コサキンの番組とそのリスナーからは『ぺんてるちゃん』とも呼ばれ[13]、他に『一人リオのカーニバル』『五反田のフェラーリ』(せっかちだから)などと呼ばれるなど親しまれていた[14]。1987年12月23日には、当時の『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』の企画で、TBSホールにて浅井をテーマにしたアート、芸術作品を展示した展覧会『アート浅井展』が開かれたほどだった[11]。
小堺一機は、自分がようやく売れて来たある時に楽屋に浅井が来て「調子に乗って独立したらぶっ潰すからね!」と言われたと話している(小堺はこれを「社長なりの激励の言葉だと思う」としている)[10]。
没後の2018年11月26日、グランドプリンスホテル高輪にて開かれた「お別れの会」[15]には萩本欽一、関根勤、小堺一機、モンキッキー(現:おさる)、キャイ〜ン、ずん、イワイガワ、関根麻里ら浅井企画所属タレントのほか、笑福亭鶴瓶、中山秀征、爆笑問題、香取慎吾など多くの芸能人や関係者約600人が参列[16]。皆で浅井との愉快な思い出話を披露し合い、生前浅井が好んだハワイとゴルフをテーマにした祭壇を前に記念写真を撮影するなど、賑やかな別れとなった[17][18][19][20]。
映画
- コント55号 世紀の大弱点(1968年11月2日、東宝) - 企画[21]
- コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年12月28日) - 製作[22][注 5]
- ワン、ツー、パンチ 三百六十五歩のマーチ(1969年8月9日、松竹) - 製作[23][注 6]
- コント55号 人類の大弱点(1969年8月13日、東宝) - 企画[24]
- コント55号 俺は忍者の孫の孫(1969年10月10日、東宝) - 製作[25]
- コント55号 宇宙大冒険(1969年12月20日、東宝) - 製作[26][27]
- チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行(1969年12月31日) - 製作[28]
- こちら55号 応答せよ!危機百発(1970年8月8日) - 製作[29]
- 俺は眠たかった!!(1970年11月11日、松竹) - 製作[30]
- コント55号と水前寺清子の大勝負(1970年12月30日) - 製作[31]
- コント55号とミーコの絶体絶命(1971年8月7日) - 製作[32]
- 初笑いびっくり武士道(1972年1月21日、松竹) - 製作[33]
- 騒音(2015年5月23日、スールキートス) - 製作[34]