海塚

From Wikipedia, the free encyclopedia

海塚(うみづか)は、大阪府貝塚市の地名。郵便番号は597-0083。

海塚

古来南郡に属し、もと麻生荘の内であり南海塚村と呼んだが、後単に海塚村と称する[1]1872年明治5年)に海塚新町を分ち、1912年大正元年)11月14日に44526歩を貝塚町に編入される[1]

徳川氏の初めより、小出播磨守領地だったが、元和5年、松平周防守の領地に換わる[1]寛永17年、岡部美濃守の領地となり、同氏が世襲して美濃守長職に至り、1869年(明治2年)6月に上地する[1]岸和田藩の支配に移り、1871年(明治4年)7月14日、岸和田県に改まり、同年11月22日、堺県の管轄となる[1]。同県区画の制定があるに及び、1872年(明治5年)2月、和泉国第十九区に属し、1874年(明治7年)1月22日、第三大区二小区に改まり、同年4月13日その三番組に入る[1]

1876年(明治9年)12月7日、番組が廃されて単に第三大区二小区となる[1]1880年(明治13年)4月14日、岸和田郡役所部内となり、同月23日、第三連合に属す[1]1881年(明治14年)2月7日、大阪府の管轄に転じ、翌3月1日、連合を離れて一村独立し、1884年(明治17年)7月1日、第十四戸長役場の管理区域に入り、1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に至る[1]

海塚新町

海塚村の出戸だったが、1872年(明治5年)に分かれて海塚新町と称する[1]。分村後1874年(明治7年)4月13日に第三大区二小区内の二番組に入り、1876年(明治9年)12月7日に番組が廃されて単に第三大区二小区となる[1]。1880年(明治13年)4月14日に岸和田郡役所部内となり、同月23日に第三連合に属し、1881年(明治14年)2月7日に大阪府の管轄に転じ、翌3月5日に堀新町及び貝塚北の町外4ヶ町と連合し、1884年(明治17年)7月1日に第十八戸長役場の管理区域に入り、1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に至る[1]

経済

産業

企業
かつて存在した企業
農業
かつて存在した映画館
かつて存在した工場

地主

海塚の地主は北野がいる[9][注 1]

世帯数と人口

2025年令和7年)4月末現在の世帯数と人口は以下の通りである[14]

丁目世帯数人口
海塚 19世帯 42人
海塚1丁目 503世帯 913人
海塚2丁目 706世帯 1,381人
海塚3丁目 137世帯 251人

地域

施設

交通

鉄道

出身人物

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI