涌井洋治
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横浜市立岩崎中学校[1]、横浜市立桜丘高等学校から東京大学文科一類に入学[2]。1964年 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[3]。同年 大蔵省入省。同期には野田毅(衆議院議員)、田波耕治(大蔵事務次官、内閣内政審議室長)、加藤隆俊(IMF副専務理事、財務官)、野口悠紀雄(経済学者)、高橋厚男(関税局長)、秋山昌廣(防衛事務次官)、杉崎重光(IMF副専務理事、証取監視委事務局長)、野口卓夫(大証副理事長)など。
経企庁官房長、大蔵省官房長を経て、主計局長と同期中の事務次官の筆頭候補であった。当時の一連の大蔵省接待汚職事件報道のなか、のちに泉井事件に発展してゆく渦中にあった泉井純一により、主に通産官僚などへのタニマチ行為がマスコミの耳目を集めていた頃、大蔵官僚の涌井にも美術品が贈与されたことを指摘された。そのため同期の田波耕治が内閣内政審議室長から次官に座ることとなった。 この事件についてノンフィクション作家である広瀬隆は、著書「私物国家」において美術商を介した収賄の仕組みを詳細に示した上で、涌井に対する処分が表面上の付け値によって口頭による厳重注意で済まされた事を批判している。[4]
退官後はすぐに日本損害保険協会副会長。2004年6月から小川是の後を受けてJT会長就任。2012年6月 退任。その後、顧問と兼務で日本たばこ産業株式会社が出捐したアフィニス文化財団理事長に就任。