井ノ口町 (岡崎市)
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小字
岡崎市の北西部に位置する。
- 字赤城(あかぎ)
- 字片坂(かたさか)
- 字河原西(かわらにし)
- 字楼(ろう)
- 字和田屋(わだや)
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 岡崎市立大樹寺小学校 | 岡崎市立北中学校 |
歴史
| いのくちむら 井ノ口村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1889年10月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 大樹寺村、大門村、上里村、鴨田村、藪田村、井ノ口村、百々村 → 大樹寺村 |
| 現在の自治体 | 岡崎市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 額田郡 |
| 隣接自治体 |
額田郡 薮田村、百々村、瀧村、井田村 |
| 井ノ口村役場 | |
| 所在地 | 愛知県額田郡井ノ口村 |
| ウィキプロジェクト | |


額田郡井ノ口村を前身とする。
1978年の区画整理前の井ノ口町字深田で発見された味噌粕岩遺跡では、弥生時代前期から中期にかけての弥生土器が発掘されている[11]。
1465年には額田郡一揆の際に、現在の井ノ口町字楼に、井ノ口砦(井ノ口城)が築かれたが、陥落し、現在は井ノ口稲荷神社が建つ。また、この井ノ口町字楼では弥生時代の環濠集落跡である楼遺跡も発掘されている[12]。
町名の由来
矢作川と青木川の合流点付近であったことから、「堰の口」に起因する[13]。
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行・合併に伴い、額田郡大樹寺村大字井ノ口となる[14]。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 合併に伴い、岩津村大字井ノ口となる[14]。
- 1928年(昭和3年)5月1日 - 町制施行に伴い、岩津町大字井ノ口となる[15]。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 岡崎市へ編入し、同市井ノ口町となる[15]。
- 1978年(昭和53年)3月21日 - 一部が青木町・井ノ口新町・上里一~二丁目・百々西町・薮田一丁目となる[15][16]。
史跡
- 味曾粕岩遺跡
- 楼遺跡
- 井ノ口城跡