清州市
韓国・忠清北道の市
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シンボル
清州市のCIは「CheongJu」という英語表記に由来するものであり、当時の自治体CIの中では地域名そのものを視覚化した点で特徴的であった。一般的に韓国の自治体CIは「〜する姿」や特産物・自然をモチーフとした図形が多く、文字そのものをデザイン化した事例は少数にとどまっていた。
その後、京畿道のシンボルや釜山広域市、江原特別自治道、全北特別自治道、さらに隣接する曽坪郡・鎮川郡のCIなど、文字をモチーフとするデザインが増加し、清州市のCIはその先駆的事例とみなされるようになった。2023年10月には清州市が属する忠清北道も「忠北」の初声「ㅊㅂ」をモチーフとした文字ベースのエンブレムへ変更し、この流れに合流した。
地理
地形
市の中心部を錦江の支流である無心川が南から北へ、美湖江が東から西へ流れており、興徳区文岩洞・清原区正下洞および梧倉邑付近で「T字型」に合流する。また、これらの河川の支流が市内各地を流れている。
気候
ケッペンの気候区分によると、清州市の気候は温帯夏雨気候(Cwa)に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。
年平均気温は13.1℃である。平年値では最暖月である8月の日最高気温が30.6℃、日最低気温は22.6℃、最寒月である1月の日最高気温が3.4℃、日最低気温は-5.8℃となっている。
年平均降水量は1232.4mmである。
年平均日照時間は2232.0時間である。
| 清州市の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 °C (°F) | 15.6 (60.1) |
22.1 (71.8) |
25.9 (78.6) |
31.3 (88.3) |
34.5 (94.1) |
35.3 (95.5) |
37.8 (100) |
39.1 (102.4) |
34.3 (93.7) |
30.6 (87.1) |
25.1 (77.2) |
18.3 (64.9) |
39.1 (102.4) |
| 平均最高気温 °C (°F) | 3.4 (38.1) |
6.4 (43.5) |
12.5 (54.5) |
19.6 (67.3) |
24.8 (76.6) |
28.2 (82.8) |
30.0 (86) |
30.6 (87.1) |
26.4 (79.5) |
20.7 (69.3) |
13.0 (55.4) |
5.4 (41.7) |
18.4 (65.1) |
| 日平均気温 °C (°F) | −1.5 (29.3) |
1.0 (33.8) |
6.5 (43.7) |
13.0 (55.4) |
18.7 (65.7) |
23.0 (73.4) |
25.8 (78.4) |
26.2 (79.2) |
21.3 (70.3) |
14.6 (58.3) |
7.5 (45.5) |
0.6 (33.1) |
13.1 (55.6) |
| 平均最低気温 °C (°F) | −5.8 (21.6) |
−3.8 (25.2) |
1.0 (33.8) |
7.0 (44.6) |
13.1 (55.6) |
18.4 (65.1) |
22.4 (72.3) |
22.6 (72.7) |
17.0 (62.6) |
9.4 (48.9) |
2.6 (36.7) |
−3.7 (25.3) |
8.4 (47.1) |
| 最低気温記録 °C (°F) | −24.1 (−11.4) |
−26.4 (−15.5) |
−12.5 (9.5) |
−4.8 (23.4) |
2.8 (37) |
7.9 (46.2) |
12.3 (54.1) |
12.7 (54.9) |
3.7 (38.7) |
−4.3 (24.3) |
−11.0 (12.2) |
−20.6 (−5.1) |
−26.4 (−15.5) |
| 降水量 mm (inch) | 20.6 (0.811) |
29.0 (1.142) |
42.9 (1.689) |
75.5 (2.972) |
82.8 (3.26) |
140.0 (5.512) |
293.8 (11.567) |
274.2 (10.795) |
142.3 (5.602) |
58.0 (2.283) |
46.6 (1.835) |
26.7 (1.051) |
1,232.4 (48.52) |
| 平均降水日数 (≥0.1 mm) | 7.2 | 6.4 | 7.8 | 8.3 | 8.1 | 9.4 | 15.7 | 14.0 | 8.7 | 6.1 | 8.7 | 8.8 | 109.2 |
| 平均降雪日数 | 9.1 | 5.5 | 2.8 | 0.3 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.1 | 2.2 | 8.5 | 28.5 |
| % 湿度 | 63.5 | 58.6 | 55.6 | 53.4 | 57.7 | 64.5 | 74.2 | 73.1 | 70.6 | 66.8 | 65.6 | 64.9 | 64.0 |
| 平均月間日照時間 | 166.9 | 176.9 | 207.6 | 220.0 | 238.8 | 196.5 | 150.1 | 173.1 | 176.4 | 204.1 | 160.6 | 161.0 | 2,232 |
| 出典:韓国気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1967年-現在)[3][4] | |||||||||||||
歴史
先史時代
清州市玉山面小魯里では炭化したイネ籾が発見されており、これは現在確認されている世界の稲作国家における最古級の稲籾遺物の一つとされる。この発見は、清州地域において旧石器時代から定住的農耕社会が存在した可能性を示すものとして注目され、稲作起源研究に大きな反響を呼んだ重要な考古資料と評価されている[5]。
古代
三韓時代には、馬韓に属する一国が現在の清州地域に存在していたとされる。三国時代には百済がこの地を支配し、上党県・娘臂城・娘子谷などと称した。以後、軍事上の要衝として百済と新羅の争奪の対象となった[6]。
685年、新羅はこの地に西原小京を設置し、元泰を仕臣に任命した。689年には西原京城が築かれ、757年には西原京へ昇格して政治・軍事上の重要拠点となり、中部地方の中心都市として発展した。770年には新羅王の巡幸も行われている[6]。
また、1933年に日本の正倉院で発見された『新羅村落文書』には、統一新羅期に西原京に属した沙害漸村・薩下知村など4村の戸口数および土地保有状況が記録されており、当時の社会・経済構造を研究する上で重要な史料とされる[6]。
後三国時代には泰封と後百済の国境地帯となり、軍事上の要衝として重視された。現在の清州市および周辺地域に残る多数の山城遺構の多くはこの時期に築かれたものと推定されている[6]。
高麗
940年、高麗の地方制度改編に伴い、当地は初めて「清州」の名称となった。983年には全国に12牧が設置されると清州牧へ昇格し、995年の地方制度再編では中原道に属し、全節軍節度使が派遣された。1011年には契丹の侵攻を受けて南遷していた高麗王が開京へ帰還する途上で清州に立ち寄り、行宮において燃灯会を催した。翌1012年に節度使制が廃止され安撫使制へ改められ、1018年には再び清州牧となった[6]。
その後、五道両界制の定着により楊広道に属し、文義・木州・鎮州・全義県・清川県・道安県・青塘県・燕岐県・懐仁県など多数の属県を管轄する中部内陸の主要行政都市として発展した[6]。
1361年の紅巾賊侵入の際には、高麗王が福州(安東)から清州へ移り、約7か月間滞在した。これは清州が三道の要衝に位置し、物資輸送に便利で海から遠く防衛に適していたためとされる[6]。
また、清州市雲泉洞に所在する興徳寺跡は、1377年に現存する世界最古の金属活字本とされる『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』(『直指心体要節』)が刊行された場所として知られている[6]。
李氏朝鮮
李氏朝鮮時代には引き続き清州牧として存続した。1395年、漢陽遷都に伴う地方制度改編により、楊広道の一部が京畿道へ編入され、残余地域が忠清道へ改称されると、清州は忠州とともにその界首官となった[6]。
1449年には忠清道観察使が判牧事を兼任する体制が設けられたが、まもなく廃止された。世祖期には鎮が設置され、清州牧は2郡10県を管轄した[6]。
1505年には、清州出身者による宦官李公臣殺害事件の責任を問われて清州牧が一時解体され、周辺諸郡へ分割編入されたが、中宗期に再び清州牧として復旧した[6]。
文禄の役の際には、趙憲率いる忠清道の義兵約1,600人と、霊圭大師率いる僧兵約1,000人が、日本軍の蜂須賀家政軍によって占拠されていた清州の奪還を図って進軍し、清州の戦いが発生した。この戦闘の結果、朝鮮側は清州を奪還することに成功した。
1656年、奴婢の億伊による主人殺害事件を理由として西原県へ降格されたが、1667年に復旧した。1680年には朴尚韓の祈雨祭祭文に反逆の意があるとされ、再び西原県へ降格されたが、1689年に復旧した[6]。
1728年には李麟佐の乱に関連して再度西原県へ降格され、1740年に復旧した。1777年には逆賊孝任の出生地とされたことを理由に再び降格され、1812年に清州牧へ復帰した[6]。
1826年には逆賊朴亨瑞の出生地とされたことから再び西原県へ降格されたが、1835年に復旧した。1862年には大逆罪人金順性の出生地とされたため再度降格されたが、1870年に清州牧へ復帰した[6]。
1895年、甲午改革に伴う地方制度改編により清州郡へ改編され、1896年の13道制施行によって忠清北道に属した。1906年には京釜線の開通により発展の契機を迎え、1908年には忠州に所在していた観察府が清州へ移転したことで、忠清北道の中心都市としての地位を確立した[6]。
日本統治時代
1912年、日本統治下の行政区域再編により、清州郡と文義郡に分割されたが、1914年の府郡面統廃合により文義郡は清州郡へ統合された。1931年には清州面が清州邑へ昇格した[6]。
現代
1946年、清州邑の清州府昇格に伴い、清州郡の残余地域は清原郡へ改称・分離された。これにより、清州市が中心部を占め、清原郡がその周囲を取り囲むドーナツ状の行政区画が形成された。1949年には、清州府が清州市へ改称された[6]。
- 朝鮮戦争
朝鮮戦争初期の1950年6月末から7月中旬にかけて、清州・清原地域では清州警察署・憲兵隊・清州CIC(防諜隊)などにより、予備検束者や国民保導連盟関係者とされた住民が拘束・殺害される清原国民保導連盟事件が発生した。また、同年6月30日から7月8日にかけては、現在の清原区梧倉邑一帯において、国民保導連盟加入を理由として住民約400人が軍・警察により射殺される清原梧倉倉庫国民保導連盟事件が発生し、多数の死者を出した[7]。
同年7月14日から16日にかけて、清州一帯では大韓民国陸軍首都機械化歩兵師団が、第1歩兵師団および第17連隊の支援を受けつつ、南下する朝鮮人民軍第15師団に対して遅滞戦を展開した。清州方面を防衛した韓国軍は、清州において朝鮮人民軍の攻勢を阻止し、防衛線構築のための時間を確保した。一時は清州市街が朝鮮人民軍に占領されたものの、激戦の末に防衛線の構築に成功し、国連軍参戦までの時間を稼いだ重要な防衛戦として評価されている[7]。
- 以来
1963年1月1日には清原郡四州面を編入し、1983年2月15日には清原郡江西面および琅城面・江内面・南一面の各一部を編入した。さらに1990年8月1日には清原郡南一面・南二面・北一面の各一部を編入した[6]。
1995年1月1日には行政区画再編により上党区および興徳区が設置され、2区体制となった[6]。
2014年7月1日、国会の議決を経て清州市と清原郡が統合され、新たな清州市(統合清州市)が発足した。これに伴い、上党区の一部と内秀邑・梧倉邑・北二面の地域をもって清原区が、興徳区の一部と南二面・賢都面の地域をもって西原区が新設され、従来の2区体制から4区体制へ移行した。また、加徳面・南一面・琅城面・文義面・米院面は上党区に、五松邑・江内面・玉山面は興徳区にそれぞれ編入された[8]。
2023年7月15日には、美湖江の堤防決壊により溢水が宮坪第2地下車道へ流入し、路線バスを含む15台以上の車両が水没した。この事故では13人以上が死亡した[9]。
行政区画
政治
清州は政治的な色彩が比較的薄く、長期間にわたり大統領選挙において全国の世論動向を示す「バロメーター」としての役割を果たしてきた。2002年以降に実施された大統領選挙では、清州で1位となった候補がすべて当選しており、政治圏では「清州で勝つ者が大統領選でも勝つ」という見方が定着している[10]。
市長
市議会
国会議員
- 第22代国会議員
産業
農業
1980年代以降、第二次産業および第三次産業の比重が増加する一方で、農業は減少傾向にある。耕地面積の大部分は水田であり、稲作が主な農業形態となっている。
工業
興徳区松亭洞に位置する清州産業団地は1969年に着工されて以降、5次にわたり段階的に開発された。梧倉邑には梧倉科学産業団地、五松邑には五松生命科学団地が造成されている。特定の業種に特化しておらず、繊維・陶磁器・家電製品など多様な軽工業が混在し、約200社規模の企業が入居している。
主に繊維、陶磁器、家電製品などを生産し輸出している。清州に工場を置く主な企業としては、SKハイニックス、SKイノベーション、サムスンSDI、マグナチップ半導体、LG電子、LG化学、LG生活健康、LSエレクトリック、セルトリオン、韓国陶磁器、東遠F&B、ロッテウェルフード、三立食品、チョンシク食品、ハイト眞露、柳韓洋行、シムテック、チョグァンピョギョク、韓国ヤグム、ヘテ製菓、東亜オツカ、クレッキンナラ、オリオンなどがある。
商業
城安路
地下街から六コリ総合市場へと続く清州市を代表する繁華街である。行政区画上は、清州市上党区北門路1街から社稷大路を経て石橋洞・青南路一帯にかけて形成されている。
百貨店・大型アウトレット
大型マート
観光
史跡・文化財
- 上党山城(상당산성)
- 清州市街に隣接する山の頂上に築かれた周囲長約4kmの城壁に囲まれた広さ約180万m2の山城。正確な築城時期は不明であるが、「三国史記」に記述あり。500年以上の歴史があると考えられる。城壁の内部は集落があり、食堂、土産物屋等もある。車、路線バスで行くこともできるが、環状道路沿いに有る国立清洲博物館近くの登山道入り口より約90分で城壁まで登頂することもできる。
- 清州市史跡上党山城
- 上党山城図
- 清州龍頭寺址鉄幢竿(청주 용두사지 철당간)
- 鉄製の幢竿支柱。962年に建立された。1962年に大韓民国国宝第41号に指定されており、幢竿支柱としては唯一の国宝指定文化財である。
- 百済古墳群資料館
- 清州興徳寺址(청주 흥덕사지)
- 統一新羅末期から高麗時代にかけて存在した寺院跡。現在の興徳区の地名の由来となっている。1377年には現存する世界最古の金属活字本とされる『直指心体要節』がこの地で印刷されたことで知られる。現在は寺址の隣接地に清州古印刷博物館が所在している。
名所
- 青南台(청남대)
- 大韓民国大統領の別荘として建設された施設。1983年12月に竣工し、以後歴代大統領の別荘として使用された。2003年、就任直後の盧武鉉大統領の指示により同年4月18日に一般公開され、管理権が忠清北道へ移管された後は観光地として活用されている。
- 青南台本館
- スアムゴール (수암골)
- 壁画村として全国的に知られ、テレビドラマのロケ地としてもしばしば利用されている。これを記念して「ドラマの道」が整備されており、周辺にはカフェが集積している。
文化施設
- 国立現代美術館清州館(국립현대미술관 청주관)
- 文化体育観光部所管の国立美術館。旧大韓タバコ人参公社の煙草製造工場建物をリモデリングして整備された施設であり、周辺一帯は「文化製造倉」(문화제조창)として再開発されている。
- 清州オスコ (청주 오스코 OSCO)
- OSCOは「Osong Convention Center」の略称であり、忠清北道唯一の展示・コンベンション施設である。最大約7,000席規模の公演開催が可能で、展示会・公演・各種イベントなど多目的施設として利用されている。2025年には共に民主党系団体「ザ・民主革新会議」の全国大会が開催されるなど、韓国政党の政治行事の会場としても使用され始めている。
- 清州芸術の殿堂(청주예술의전당)
- 清州市立の総合公演施設。市民の文化的情緒の向上を目的として1995年に開館し、大劇場・小劇場のほか、各種展示室や付帯施設を備えた現代的な文化施設である。大劇場は1,499席、小劇場は206席の規模を有し、会議室および展示室なども併設されている。
博物館
- 国立清州博物館(국립청주박물관)
- 国立中央博物館傘下の国立博物館。建物は韓国の建築家・金壽根が設計した韓国現代建築の代表作の一つとされる。国宝1件を含む国家指定文化財4件を所蔵しており、中原(忠清北道)文化および金属工芸を特色ある展示分野としている[11]。
- 清州古印刷博物館(청주고인쇄박물관)
- 『直指心体要節』が刊行された都市であることを記念して設立された印刷専門博物館。印刷技術の発達史を紹介する教育・展示施設として運営されている[12]。
- 清州市立美術館(청주시립미술관)
- 清州市が運営する公立美術館。
公園・レジャー施設
- 清州動物園(청주동물원)
- 1997年に開園した公営動物園であり、清州市傘下の清州ランド管理事業所が運営・管理している。近隣には清州ランド子供会館、気候変動体験教育館、遊園地などが所在する。環境部により大韓民国初の拠点動物園に指定されている。
- 梧倉湖公園(오창호수공원)
- 1940年代初頭、梧倉邑各里の宮殿村に居住していた德岩・全宇贊が農業用水確保のために築いた堤防を起源とする公園である。総面積は約158,000㎡で、梧倉科学産業団地の造成とともに整備された住宅地住民の憩いの場として利用されている。園内には野外公演が可能な芝生広場、散策路、噴水、せせらぎなどが整備されており、中心には人工湖である湖岩貯水池(約26,000㎡)が位置する。湖畔には約1kmの遊歩道と芝生が整備され、夜間景観照明や運動器具も設置されている。
市場
- 清州六コリ総合市場(청주 육거리종합시장)
- 市中心部に位置する伝統市場。通称「六コリ」または「六コリ市場」と呼ばれる。常設市場のほか、毎月末尾が2日・7日に立つ五日市、および早朝に開かれる「トッケビ市場」が運営されている。
教育
スポーツ
サッカーでは2023年にKリーグに入会した忠北清州FCが、バスケットボールではWKBLの清州KBスターズがそれぞれ本拠地としている。また、プロ野球・KBOリーグのハンファ・イーグルスが清州総合運動場野球場を準本拠地としている。
交通
鉄道
清州駅は清州高速バスターミナルより4km北西にあり、市街地へはバスで連絡となる。大田駅 - 堤川駅間のムグンファ号を中心とした列車が運行しているが、総じて本数は多くない。
KTX・SRTが停車する五松駅は市街地より西に15kmの距離であり、市街地とは市内バスで結ばれている(所要時間は60分)。
京釜線が市の外郭を通過するが駅はない。
航空
高速道路
- 京釜高速道路(1号線)清州IC(Cheongju IC) - ソウルから天安(Cheonan)まで片側4車線、清州市内片側3車線、制限速度100km/h、土日バス専用レーンあり
- 統営-大田・中部高速道路(35号線)西清州IC(West Cheongju IC) - 片側2車線、制限速度110km/h、バス専用レーンなし
バス
- 清州高速バスターミナル
- ソウル高速バスターミナル行きは日中10分以内の間隔で運行されており、所要時間は1時間40分。東ソウル総合バスターミナル行きは30分間隔。その他釜山総合バスターミナル・大邱・光州行きなどがある。
- 清州市外バスターミナル(清州旅客ターミナル):高速バスターミナルの道路向かいにある。(別名:佳景ターミナル)
切符を購入する際、特に日本人には清州(청주、Cheongju:チョンジュ)と全州(全羅北道)(전주、Jeonju:チョンジュ)の発音が区別しにくく、誤発券される可能性もあるため、購入する際はハングル、漢字またはアルファベットで筆記するとよい。
主要機関
司法・行政機関
- 忠清北道庁 (上党区文化洞)
- 大田高等法院清州支院、清州地方法院 (西原区山南洞)
- 大田高等検察庁清州支部、清州地方検察庁 (西原区山南洞)
- 大田地方国税庁清州税務署・東清州税務署 (上党区上党路)、(清原区栗陽洞)
- 忠清北道教育庁 (西原区山南洞)
- 忠北地方調達庁 (興徳区福台洞)
- 忠北地方兵務庁 (西原区社稷洞)
- 大田地方雇用労働庁清州支庁 (西原区分坪洞)
- 大田地方報勲庁清州支庁 (西原区分坪洞)
- 大田地方気象庁清州気象台 (興徳区福台洞)
- 忠清地方統計庁清州事務所 (興徳区鳳鳴洞)
- 国立農産物品質管理院忠北支援 (興徳区鳳鳴洞)
- 忠清北道選挙管理委員会 (興徳区飛下洞)
- 国民権益委員会清廉研修院 (西原区水谷洞)
- 清州拘置所、清州女子拘置所 (西原区美坪洞)
- 清州郵便集中局 (西原区水谷洞)
警察・消防機関
報道機関
- 放送局
- 新聞社
- 忠清タイムズ (興徳区福台洞)
- 東洋日報 (清原区栗陽洞)
- 忠北経済新聞 (興徳区佳景洞)
- 忠清リビュー (上党区水洞)
- 忠清日報 (興徳区雲泉洞)
- 忠清トゥデイ (上党区北門路3街)
- 忠清毎日 (興徳区雲泉洞)
- 忠北日報 (興徳区雲泉洞)
- 中部毎日 (興徳区新鳳洞)
医療機関
清州市には2013年時点で約780の医療機関が存在する。主な医療機関は以下の通り。
- 忠北大学校病院[上級] (西原区開新洞)
- 清州医療院 (西原区社稷洞)
- ハナ病院 (興徳区佳景洞)
- 韓国病院 (上党区永運洞)
- 孝誠病院 (上党区金川洞)
- 清州聖母病院 (清原区周中洞)
- 清州現代病院 (興徳区飛下洞)
- 梧倉中央病院 (清原区梧倉邑)
出身者
対外関係
関連項目
- Konglish:韓国式英語
