渋江抽斎
日本の医師
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来歴
業績
人物
家族・親族
- 父・渋江定所(1763-1837) ‐ 医者。名は允成、字は子礼、号に定所・容安室・柳南翁、幼名は専之助、通称は玄庵のち道陸(四世)。鳥羽藩主・稲垣家の元重臣で江戸根津で旅籠屋「茗荷屋」を営む稲垣清蔵の嫡男として生まれ、15歳の1778年に弘前藩医・渋江本皓の養子となる。儒を柴野栗山に、医を依田松純に学び、弘前藩九代・津軽寧親の侍医となる。[3]
- 母・縫 ‐ 下総国佐倉の城主堀田正順の家臣・岩田忠次の妹。定所の三人目の妻。[4]
森鷗外の『渋江抽斎』には、四回結婚しその間に七男七女を儲けた記述がある[5]。
- 1人目の妻 尾島 定(おじま さだ)
- 長男 恒善(つねよし)
- 2人目の妻 比良野 威能(いの)
- 長女 純(いと)
- 3人目の妻 岡西 徳(おかにし とく)
- 次男 優善(やすよし)
- 三男 八三郎(はちさぶろう)
- 二女 好(よし)
- 4人目の妻 山内 五百(やまのうち いお)
- 四男 幻香(げんこう)
- 五男 修・本名 専六(せんろく)
- 六男 翠暫(すいざん)
- 七男 渋江保・本名 成善(しげよし)
- 三女 棠(とう)
- 四女 杵屋勝久・本名 陸(くが)
- 五女 癸巳(きし)
- 六女 水木(みき)
- 七女 幸(さき)
著作
- 『経籍訪古志』共著
- 『留真譜』
- 『護痘要法』
- 『四つの海』
- 『呂后千夫(りょこうせんふ)』小説、未刊行
- 『読書指南』、市野迷庵著の補遺