辻直四郎
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戦前
1899年、東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)で生まれた。旧姓は福島。府立一中、一高文乙(英文科)に入学。一高時代の同級生には川端康成がいた。東京帝国大学文学部言語学科に入学。在学中は主に藤岡勝二と高楠順次郎に師事し、比較言語学、サンスクリット語学を学んだ。また、哲学・ギリシア語を晩年のラファエル・ケーベルに学んだ。
1924年より1927年まで、梵語研究のため渡欧。イギリス・オックスフォード大学、ドイツ・マールブルク大学においてパーリ語・サンスクリット語、ヴェーダを初めとする古代インド文学・神話学、加えてケルト語とバルト語・印欧比較言語学を学び帰国。
1927年に東京帝国大学印度哲学梵文学科・梵語学梵文学講座の担当講師、同年助教授となった。1932年に同講座は印度哲学科と併合し、1942年以降はその教授に就いた。門下生からは仏教学者の渡辺照宏、インド文学者の田中於菟弥、言語学者・西洋古典学者の高津春繁が育った。
戦後
戦後はインド学や印欧比較言語学がアーリアン学説に繋がるものと見なされ、公職追放の対象となる危機に直面したが、敗戦後も引き続き東京大学で教鞭をとることができた。戦後の学生には、古典文献学の原實、インド学者の松山俊太郎らがいる。大相撲を好み、和服で講義した。学界では、1951年に日本印度学仏教学会を創立し、その発展にも大きく寄与した。
1960年の定年退官後は、慶應義塾大学教授に就任した。戦後東洋文庫が財政的支援者を失い、国立国会図書館の支部となっていたが、1961年にユネスコ東アジア文化研究センターが併設されると委員となって海外との学術交流に貢献した。東洋文庫理事を務め、1974年には理事長を没時まで務めた[1]。1953年に日本学士院会員に選ばれ[2]、1978年に文化功労者となった。
受賞・栄典
- 1978年:文化功労者。
研究内容・業績
家族・親族
- 娘:黒田夏子は小説家。
著作
- 『ウパニシャッド』日本放送出版協会(ラジオ新書) 1942
- 『ブラーフマナとシュラウタ・スートラとの関係』(東洋文庫叢書 33) 東洋文庫 1952
- 『ヴェーダとウパニシャッド』創元社 1953
- 『インド文明の曙 ヴェーダとウパニシャッド』岩波新書 青版 1967 - 再版多数
- 『現存ヤジュル・ヴェーダ文献:古代インドの祭式に関する根本資料の文献学的研究』(東洋文庫論叢 52) 東洋文庫 1970
- 『サンスクリット文学史』岩波書店・岩波全書 1973。岩波オンデマンドブックス 2016
- 『サンスクリット文法』岩波全書 1974、新版1993ほか
- 『サンスクリット読本』春秋社 1975
- 『ヴェーダ学論集』岩波書店 1977
- 『古代インドの説話 ブラーフマナ文献より』春秋社 1978
- 著作集