渡部信
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| 生年月日 | 1884年8月16日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1973年12月13日(89歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科 |
| 称号 |
正三位 勲一等瑞宝章 勲三等旭日中綬章 フランス共和国レジオンドヌール勲章 |
| 親族 |
渡邉宗玄(祖父) 渡邉邁(父) 脇水鉄五郎(義兄) 岡本英太郎(義兄) 関屋貞三郎(従兄) |
| 選挙区 | (勅選議員) |
| 在任期間 | 1946年9月4日 - 1947年5月3日 |
| 在任期間 | 1939年5月3日 - 1944年9月6日 |
| 在任期間 | 1932年8月10日 - 1932年9月17日 |
渡部 信(わたなべ しん、1884年〈明治17年〉8月16日[2] - 1973年〈昭和48年〉12月13日[3])は、日本の宮内官僚。帝室博物館総長(第6代)。宮中顧問官。貴族院勅選議員。文献によっては渡辺 信あるいは渡邊 信と表記される。位階勲等は、正三位勲一等瑞宝章・旭日中綬章。
下野国壬生藩(栃木県下都賀郡壬生町)出身で日光二荒山神社や三嶋大社の宮司を務めた渡邊邁の二男として生まれる[2]。
1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業[4]。逓信書記官、東京帝国大学法科大学講師を経て、宮内省式部官となり、内務参事官や外務書記官を兼ねた[2]。さらに宮内省参事官、内大臣府御用掛、大臣官房文書課長、 宗秩寮審議官、図書頭・諸陵頭、帝室博物館総長(現東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館の総称)、宮中顧問官、日仏協会理事を歴任した[3][5]。
1938年(昭和13年)6月16日、大正天皇実録及び明治以前の天皇皇族実録編集関係者への行賞が行われる中、図書頭であった渡部には賜金、賜品が授けられた[6]。
戦時中に東京帝室博物館収蔵品を奈良帝室博物館倉庫、多摩御陵倉庫、高松宮御別邸(福島県猪苗代町)に疎開させ、疎開中は東京では東京収蔵品の精巧なレプリカ展示とギャラリートークを毎日開催した。また正倉院御物も奈良帝室博物館収蔵庫に疎開させた。 1944年(昭和19年)10月、正倉院御物である鳥獣花背八角鏡が破損する事故が発生。博物館総長として懲戒処分を受ける。ただし、この事故については、昭和天皇より形あるものはいずれ壊れるものとして、関係者の処分が過酷にならないようにとの希望が出された[7]。
1946年(昭和21年)9月4日に貴族院議員に勅選され[8]、貴族院廃止まで在任した[3]。
その他、日本郵船監査役を務めた[3][9]。1955年(昭和30年)10月1日には日本郵船創立70周年記念品として銀彫花唐草文煙草入が贈られた。
1924年(大正13年)2月20日、旧蔵書和漢書3,784冊を東京大学総合図書館に寄贈し現在も「渡部文庫」と呼ばれている[10]。 生前の1911年(明治42年)に渡部文庫の売出しがあった際、狩野亨吉により悉く購入され、それらは東北大学狩野文庫や九州大学に多数所蔵されている[11]。
谷中霊園に眠る。