甚吉森 (秋田県・青森県)
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地質
甚吉森は大鰐山地と呼ばれる山塊の東部にある[3][注 2]。この山塊では、西から万左衛門山(標高665メートル[注 3])、大日影山(標高820メートル)、甚吉森、炭塚森(571メートル)、馬糞森山(標高785.5メートル)などが連なっている[3]。これらの稜線は、青森県側の岩木川水系と秋田県側の米代川水系の分水嶺になっている。
地形
一帯は標高差が400メートルから600メートル程度の中起伏山地である[3]。このうち北山麓、南山麓、東山麓がそれぞれ川による開析が進んでいる[3]。とくに北側は岩木川の三次支川[注 5]島田川によって侵食され、北西側では小起伏山地になっている[3]。東側は岩木川の二次支川[注 6]湯ノ沢、南側は米代川の二次支川[注 7]の源流の沢が入り込んでいる[3]。
自然
一帯の低標高域は天然林の伐採が行われた結果スギやカラマツなどの人工林は多いのに対し[4][注 8]、山頂付近の青森県側にはブナやミズナラの森が広がっている[3]。
歴史

江戸時代、碇ヶ関御関所の脇道番所が早瀬野と島田(大鰐町)の甚吉峠にあり補助的な役割を果たしていた[8]。
津軽藩では1707年(宝永4年)、「早瀬野、島田両村の入り口に一か所の番所では、他領への脇道が方々にあるから、役人の隙を見て忍び通る者が多い。特に堅雪のときには禁制品を持って忍び通る者の往来が頻繁になったから、番人を8人に増やしたがまだ取締が不足している。それで今年の春には3人加えて11人で、方々の脇道の夜待もして取締に勤めてきた。しかし、番人を11人に増やしても早瀬野番所と三ツ目内番所の位置は脇道抜け通りと盗伐の監視には悪い。だから次の番所に2番所を移して再建させる」とし、特に忍び通りが頻繁な島田山と、甚吉峠に新番所2つを増設するとして1707年からは4番所を作った。甚吉森には、新甚吉峠番所を島田山嶺と碇ヶ関山嶺と大館山嶺の堺の峠に新設した。大きさは4間に2間半の十坪で、4坪は板の間、残りの6坪の土間には鉄砲・槍・提灯などの武具や道具が備えられていた。役人は6人が配置された[9]。

