由布島
日本の沖縄県八重山諸島にある島
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地理
歴史
島の北部に由布遺跡があり、土器や近世の陶磁器が検出されている。また、1500年に起こったオヤケアカハチの乱の際に、オヤケアカハチに攻められ古見に逃れた長田大主は、この島で船を造って琉球王府軍とともに反攻したという伝説がある[5][3]。
近世、稲作に不適であった竹富島や黒島の島民は、西表島に水田を開き舟で通って耕作を行っていた(通耕)。その際、マラリアの有病地であった西表島を避け、無病地であった由布島に田小屋と呼ばれる仮住居を置いたのが、確認されている範囲で人が住むようになった始まりとされる[6][12][5]。
太平洋戦争後、1947年(昭和22年)に竹富島や黒島から移住が行われて由布島に集落が成立[13]。対岸の西表島でパイナップル等の果樹やサトウキビを栽培し[3]、各戸では水牛を飼養するようになった[6]。
人口も増加し、1948年(昭和23年)には学校(島分教場)が開校し[6][5]、後に由布島小中学校等に改称した[6]。1964年(昭和39年)頃には島民111人、25世帯を数えた[14]。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた[6]。
しかし、1969年(昭和44年)9月26日にエルシー台風(日本名・昭和44年台風11号)により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、1971年(昭和46年)8月8日には11世帯が対岸の西表島へと移住して美原集落を形成し、由布島には3世帯のみが残った[6][5][13][注釈 3]。
その後、由布島ではヤシの植樹などが行われ、1981年(昭和56年)4月1日に植物園が開園。徐々に施設を拡大して今日に至っている[6]。1990年(平成2年)には、島内の電力技術に携わっていた明電舎のCMで紹介され知名度が向上した[6]。
