直江喜一
From Wikipedia, the free encyclopedia
1975年、劇団「こまどり」に入団[2]。東京都立久留米高等学校卒業[1]。
1979年、『3年B組金八先生』の楓中学校・不良生徒役で柳沢順吾(柳沢慎吾)とともに俳優デビュー。
1980年、『3年B組金八先生2』のオーディションで加藤優役に抜擢され、「腐ったミカンの方程式」の回でブレイク。1981年9月25日、シングル『悲しきティーン・エイジャー』、アルバム『俺はオレンジなんかじゃない』を日本フォノグラム(現:ユニバーサルミュージックLLC)から同時リリース。テレビドラマや映画で活躍し、1983年に劇団青年座研究所の研究生となり舞台も経験。
1992年3月に芸能界を一旦引退した。その理由は、1歳年下の知人が仕事で数百万の伝票を切っているのを知り、自分も社会人として再出発したいという気持ちが嵩じ、「どうせならやったことのない仕事をやってみよう」という思いが重なったためである。
役者引退後は建設業界に就職、二級建築士、1級建築施工管理技士の資格を取得。35歳で松井建設に転職、2008年10月から多摩営業所所長[3]、2014年4月より3年間にわたって北陸支店営業部長として金沢市に赴任[4][5]。現在は同社の本社営業第2部部長。元妻の大見久代とは2010年の『3年B組金八先生ファイナル』にて、加藤優の妻・佳也子役で共演していた。現妻は『3年B組貫八先生』で秋田令子役だった屋木里美[6]。
芸能界引退後はテレビ出演や取材を断っていたが、2007年12月の『快感MAP』に出演。2008年11月22日には『あの人は今!?』に、2009年3月13日には『2時っチャオ!』内のコーナーに出演した。2010年の『3年B組金八先生ファイナル』を経て、2011年からサラリーマン勤務に支障のない範囲で芸能活動も再開。2023年に定年を迎えたが、引き続き会社勤めと芸能活動を並行で行っている。
2011年にトークショーに出演したことをきっかけに、バンドグループ「直江喜一とオレンジブレイカーズ」を結成。定期的に劇団ジャっプリンでの公演と、作詞・作曲の歌でライブを行っている。2013年7月21日、2019年7月21日になんばグランド花月ではじめのだんじり新喜劇に出演。2016年、自身のレーベルでCDを作成。金沢赴任時に作詞・作曲した「見附島のえんむすびーちで」「前だけを見て歩く男でありたい」を含めたアルバム『道』をリリースしている。2020年11月15日付の読売新聞と、2021年12月24日の毎日新聞に直江の特集が掲載された。
エピソード
妹がいる[1]。高校生時代は柔道部で主将を務めていた[1]。
『金八先生』第2シリーズの収録終了時に、武田鉄矢は卒業記念として男子生徒役の役者全員に自身のコレクションであるビニ本をプレゼントしていたが、自身と沖田浩之は当時既に18歳だったため、「お前ら二人は自分で買え」と言われビニ本コレクションは貰えなかった。武田は直江については沖田とともに期待していた役者であったため、特に厳しくしていたという[7]。
『3年B組金八先生ファイナル』での加藤のモデル人物と企業は「安田組」の安田光一で、撮影前に協力雇用主などの訪問取材している。金八4で既にハゲて太っており、その事はファイナルで伊藤つかさと大川明子からネタにされているが本人はとぼけている。安田は2019年に脱税で起訴されている[8]
読売新聞の2020年11月15日紙面コラム「あれから」では金八先生出演時や後日談が掲載され、ランニングサークル、バンド、劇団などでの活動や小山内美江子との交流が続いている事も紹介されている。
自身のモノマネをしている松村邦洋とはバラエティ番組で共演した際に連絡先を交換して交友がある。金八ファイナルで15年ぶりの出演に当たり、自身が加藤を忘れていた為、松村に「加藤ってどうやるんだっけ?」と連絡して教えてもらったという。金八終了後は動画サイトで共演し、金八ファンに向けての動画配信を行っている。出川哲朗とは最近まで交友がなかったが、2021年の番組で交友が出来たという。
ディスコグラフィ
シングル
- 悲しきティーン・エイジャー/けんか帰り(1981年9月25日、フィリップス・レコード)
- 南から/酒でも飲もうや(2012年)
- 見附島のえんむすびーちで! (2016年)
- 前だけを見て歩く男でありたい(2016年)
アルバム
- 俺はオレンジなんかじゃない(1981年9月25日、フィリップス・レコード)
- 道(2016年)