石川倭

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1995-04-10) 1995年4月10日(30歳)
身長 167.5cm
石川倭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 富山県富山市
生年月日 (1995-04-10) 1995年4月10日(30歳)
身長 167.5cm
体重 46.9kg
血液型 B
騎手情報
所属団体 ホッカイドウ競馬
所属厩舎 米川昇
勝負服 胴白・緑山形一本輪・袖緑
初免許年 2013年
重賞勝利 59勝
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石川倭(いしかわ やまと、1995年4月10日 -)は、ホッカイドウ競馬米川昇厩舎所属の騎手富山県富山市出身。勝負服の柄は「胴白・緑山形一本輪・袖緑」で、本人の希望により元騎手で師匠の米川昇の柄を受け継いでいる。

一時期金沢競馬場で厩務員をしていた祖父と競馬好きの親の影響で富山市立古沢小学校の頃から騎手に憧れ、富山市立呉羽中学校2年で乗馬を金沢の乗馬クラブで始めた。中学時代はハンドボール部に所属。卒業後地方競馬教養センター騎手課程第91期生として入学[1]2013年騎手免許取得。所属先は北海道と金沢で悩んだが、若い馬が多く乗り慣らしから始められることから北海道を選んだ。同期に大井の笹川翼、名古屋の木之前葵などがいる[2]

初出走は2013年4月24日門別競馬第4競走カイオ号、初勝利は同年5月3日門別競馬第4競走アラマサアルデ号(6戦目)。

デビュー年は24勝。翌2014年には57勝を挙げ北海道リーディング5位に入り、NARグランプリ2014優秀新人騎手賞[3]受賞。

2014年9月18日、イノセントカップを最低人気のコールサインゼロ号で制し初重賞制覇。

2015年1月15日の調教中に左手小指を骨折し全治3週間の診断を受け、翌月に出場予定だった第29回全日本新人王争覇戦を辞退。

2015年6月24日、門別競馬第3競走をカルミア号で制し地方競馬通算100勝を達成[4]

2015年11月から2016年1月までの予定で南関東で期間限定騎乗したが、2015年12月24日の大井での落馬事故で第7胸椎圧迫骨折の診断を受け、翌月に出場予定だった第30回全日本新人王争覇戦を辞退。

2016年8月13日の札幌競馬10Rコスモス賞でJRA初騎乗(7番人気ブラックプールで4着)。翌週のクローバー賞でJRA初馬券圏内となる3着と好走した[5]

2016年11月から2017年1月まで再び南関東で期間限定騎乗した。

2017年8月13日、札幌11Rエルムステークス(GIII)でJRA重賞初騎乗(オヤコダカで8着)。翌週のクローバー賞で6番人気ダブルシャープに騎乗し、クリストフ・ルメール騎乗の1番人気タワーオブロンドンとの追い比べを制しJRA初勝利を挙げた[6]

2018年10月16日、門別11Rエーデルワイス賞(JpnIII)でアークヴィグラスに騎乗し交流重賞初制覇[7]

2019年は120勝をあげ、初めてホッカイドウ競馬リーディングジョッキーとなる[8]

2020年11月17日、佐賀6Rで1着となり、4514戦目にして通算600勝を達成した[9]

2023年12月17日、佐賀競馬第8競走をコスモセレナで勝利し、通算(中央含む)1000勝を達成をした[10]

2024年7月31日、門別6Rでハヤブサアポチャンに騎乗し1着となり、門別競馬の現役7人目となる通算1100勝(成績は中央含む)を6992戦目で達成した[11]。同年11月16日から2025年2月23日まで佐賀競馬場で期間限定騎乗[12]。佐賀競馬遠征中の12月16日、佐賀1Rをエスシーアルベルに騎乗し1着となり、現役7人目となる通算1200勝を達成[13]

2025年7月17日、門別競馬1Rでフークアルバトロスに騎乗し1着となり、門別競馬の現役騎手では5人目となる通算1300勝(JRAを含む)を達成した[14]。同年10月28日、門別競馬4Rでソダチザカリに騎乗し1着となり、門別競馬の現役騎手では5人目となる通算1400勝(JRA5勝を含む)を8434戦目で達成した[15]。翌10月29日には門別1Rをカイノミチシルベで1着となり、年間勝利数を154勝として落合玄太が2023年に記録した153勝を抜き、ホッカイドウ競馬のシーズン最多勝記録を更新した[16]。最終的に年間最多勝記録を167勝とした。11月22日から12月28日まで前年同様に佐賀競馬で期間限定騎乗[17]

主な騎乗馬

脚注

外部リンク

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