砂田光紀

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砂田 光紀(すなだ こうき、1963年 - 2025年11月3日[1])は、日本のミュージアムプロデューサー、まちづくりプロデューサー空間デザイナー。各地で博物館や公共施設の企画立案や総合プロデュースを手がけた。

鹿児島県鹿児島市出身[1][2][3][4][5]鹿児島県立甲南高等学校[6]鹿児島大学法文学部卒業[1]。大学入学後の1982年から1年半、全国各地を自転車で旅し、岩手県遠野市民俗博物館民俗学に出会う[7]。鹿児島大学では下野敏見に師事し[8]文化人類学[7]、民俗学、考古学を修めた[2][3]。鹿児島大学埋蔵文化財調査室勤務を経て[7]、鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)の「ミュージアム知覧」設立に学芸員として携わる[2]1993年に独立[2]1998年福岡県福岡市に、博物館や美術館のリニューアルやまちづくりを担う「オフィスフィールドノート」を設立した[3][4]工業デザイナー水戸岡鋭治による「787系特急つばめ」のデザインにほれ込み、1990年代、川辺郡笠沙町(現南さつま市)の漁業博物館構想のデザイン担当に水戸岡を勧誘し、2000年に宿泊施設を併設した漁業博物館「笠沙恵比寿」を完成させた[3]。以降、水戸岡と盟友関係を結び、独自にデザインを習得[2]

学芸員の専門性と、デザイナーのセンスを兼ね備えた稀有な存在として活動の幅を広げ[2]、全国の博物館や公共施設のプロデュース、再生を手がける[1]。総合プロデューサーを務めた2014年開館の「薩摩藩英国留学生記念館」(鹿児島県いちき串木野市)では、資料集めから始め、木をふんだんに使った空間をデザインした[2]2018年からは、鹿児島港本港区再開発について話し合う鹿児島県の「まちづくり検討委員会」委員も務めた[5]。鹿児島市にある国登録有形文化財旧藤武邸」の保存運動では中心的な役割を担う[1]

2024年がんが見つかり闘病していたが[2]2025年11月3日未明[2]、鹿児島市内の病院で前立腺小細胞がんのため死去[1]。62歳没[1][2][4][5]。2025年12月、生前最後に手掛けたいちき串木野市の「ミュージアム・カフェ・舟」とオフィスフィールドノート鹿児島事務所があった鹿児島市名山町のビル「レトロフトMuseo」の2か所で、お別れの集いが開かれる[9]

手がけた主な施設

著書

脚注

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