福岡加余子
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| 基本情報 | |||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 出身地 | 愛知県瀬戸市 | ||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1949年8月1日(76歳) | ||||||||||||||||||
| 4大大会最高成績・シングルス | |||||||||||||||||||
| 全仏オープン | 1回戦(1974) | ||||||||||||||||||
| 4大大会最高成績・ダブルス | |||||||||||||||||||
| 全仏オープン | ベスト8(1973–1974) | ||||||||||||||||||
| ウィンブルドン | 2回戦(1974–1975) | ||||||||||||||||||
| 全米オープン | 2回戦(1973) | ||||||||||||||||||
| 獲得メダル | |||||||||||||||||||
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| 2026年4月19日現在 | |||||||||||||||||||
福岡 加余子(ふくおか かよこ、1949年8月1日 - )は、愛知県瀬戸市出身の元女子プロテニス選手[1]。金城学院高等学校、武庫川女子大学卒[2]。1970年代の日本女子を代表する選手の一人であり、沢松和子の姉・沢松順子の結婚引退後に和子とダブルスペアを組んで活躍したことで知られる[3]。特に全仏オープンでは女子ダブルスのベスト8に2度進出した[4][5]。
金城学院在学中の1965年にテニスを始める[3]。1967年8月には早くも全国高校庭球選手権および全日本ジュニア選手権のダブルスで優勝して頭角を現し[6]、同年の18歳以下女子全日本ランキングで4位に付けた[7]。さらに武庫川女子大学へ進学後、1970年と1971年の全日本学生庭球選手権でもダブルスを2連覇した[8]。1972年10月には記念すべき第1回のジャパンオープンに参加している[9]。
1973年1月、第2回全日本選抜室内選手権において、前年に引退した沢松順子に代わって、国民的スターだった沢松和子のダブルスパートナーに起用され優勝[9]。これ以降1975年に沢松が引退するまでの約2年間、ペアとして国内外の転戦に同行して寝食を共にした[3]。同年4月には西ドイツのバート・ホムブルクで開催されたフェデレーションカップ日本代表に初選出され、メインドローでオーストラリアに敗れた後のコンソレーショントーナメントに出場[10][注 1]。沢松とのダブルスでオーストリアとフランスを相手に白星を挙げた[11][12]。同年6月の全仏オープン女子ダブルスではベスト8に進出[4]。8月のモスクワ・ユニバーシアードでもダブルス決勝に進んで銀メダルを獲得した[13]。国内では10月の全日本庭球選手権ダブルスで初優勝している[14]。
1974年も沢松とのペアで活躍を続け、1月の全日本選抜室内および3月の全日本室内庭球のダブルスを制した[13][15]。2年連続の選出となった5月のフェデレーションカップ(イタリア・ナポリ開催)は前年同様コンソレーション大会での4連勝でチームの優勝に貢献する活躍を見せ[16]、続く全仏オープン女子ダブルスでも2年連続のベスト8進出を果たした[5]。9月にイラン・テヘランで開催された第7回アジア競技大会では、左手都志子と組んだダブルスで金メダル、女子団体で銅メダルを獲得した[15][17]。同年の全日本ランキングで2位を記録[7]。1975年のジャパンオープンを最後に沢松が引退した後も畠中君代や佐治道子らと組んで多くの大会で結果を出しており、全日本室内および全日本選抜室内で複数のタイトルを獲得したほか[18]、1978年にはダンロップマスターズや全日本ローンコート選手権も制している[19]。
ダブルスの成績が際立つ福岡だがシングルスのタイトルも複数あり、1975年の全日本室内庭球選手権で優勝したほか[18]、前出の全日本ローンコート選手権は単複2冠を制している[19]。1978年のジャパンオープン(WTAツアー公式戦昇格前)ではシングルスベスト4に進出するなど[20]、1970年代を通じて国内女子テニス界の第一線で活動した。
主な戦績
著書
- 福岡加余子『レッツプレイテニス』恒星社厚生閣、1981年11月。国立国会図書館書誌ID:000001533067。