古橋富美子
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| 基本情報 | ||||||||||
| 国籍 |
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| 出身地 | 愛知県名古屋市 | |||||||||
| 生年月日 | 1959年4月22日(66歳) | |||||||||
| ツアー経歴・シングルス | ||||||||||
| 自己最高ランク | 460位(1986年12月21日) | |||||||||
| 生涯通算成績 | 4勝5敗 | |||||||||
| ツアー経歴・ダブルス | ||||||||||
| 自己最高ランク | 276位(1987年1月5日) | |||||||||
| 生涯通算成績 | 10勝10敗 | |||||||||
| 獲得メダル | ||||||||||
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| 2026年3月22日現在 | ||||||||||
古橋 富美子(ふるはし ふみこ、1959年4月22日 - )は、愛知県名古屋市出身の元女子プロテニス選手。市邨学園高等学校、園田学園女子大学卒。ランキング自己最高位はシングルス460位、ダブルス276位[1]。1980年に全日本女子シングルス四冠を達成したことで知られる[2]。
学生時代と四冠達成
市邨学園中学在学中に入部した硬式テニス部でテニスを始める[2]。高校時代には全国高校庭球選手権の女子シングルスとダブルスで優勝し、1976年の18歳以下全日本女子ランキングで2位を記録した[3]。翌1977年5月には第14回原田杯全国選抜ジュニア選手権のシングルスで優勝し[4]、同年末にアメリカ・マイアミで開催のオレンジボウルに派遣されて女子ダブルスベスト8に進出した[5]。
1978年、テニス強豪校の園田学園女子大学へ進学[2]。1979年にフェデレーションカップの日本代表に初選出され、佐藤直子、野村貴洋子、米沢そのえらと共に4月末からスペイン・マドリードで開催された本大会に帯同した[6]。大会後は野村とイギリス南部のサテライトサーキットに参加し[注 1]、サットン、ワージング、リーオンソレントの各大会に出場。ダブルスで2度の優勝を飾った[8][9]。帰国後はこの年から女子部門がグランプリ公式戦に昇格したジャパン・オープンに参戦してベスト8に勝ち残った[10]。
1980年は古橋が国内主要タイトルを独占した年となった。3月に全日本室内庭球選手権の単複二冠を獲得[11]。4月から柳昌子と共に再びイギリスのサテライトサーキットを転戦し[8]、5月後半には西ベルリンで開催されたフェデレーションカップに帯同した[6][12]。帰国後の7月には全日本学生庭球選手権の単複を制覇[13]。8月にニューヨークで開催された国際ヤング・マスターズ・チームテニス選手権(チキータカップ)への派遣を経て[14]、10月の第55回全日本庭球選手権女子シングルスで優勝を飾った[15]。さらに12月の全日本学生室内庭球選手権でも単複優勝を果たし[16]、同一年度に4つの全日本タイトルをすべて制する史上唯一の快挙を成し遂げた[2]。同年の全日本女子ランキングでは1位に輝いている[3]。
プロ転向とその後の実績
1981年7月、ルーマニアで開催されたブカレスト・ユニバーシアードの女子ダブルスで銀メダルを獲得した[17]。帰国後、全日本学生テニス選手権の単複を連覇[13]。同年8月には大学在学中のまま美津濃とプロ契約を締結した。現役学生によるプロ契約はこれが史上初であった[18]。10月のWTA大会ボーデンクラシックにて柳と組んだダブルスでベスト4に入ると[19]、1982年1月には京都クラシックマスターズでプロ初優勝を飾った[20]。同年、4度目の代表選出となったフェデレーションカップ本大会(アメリカ・サンタクララ開催)に伴い若手主体のチームで西海岸の米国内サーキットに遠征し[21][22]、ワシントン州オープンで優勝を記録した[23]。
1983年以降海外遠征することはなく、日本国内開催の大会で活躍した。特に地元名古屋のダンロップマスターズには強く、ダブルスで4回優勝しているほか[24]、シングルスでも優勝と準優勝をそれぞれ1回飾っている[25][26]。また、1984年秋から女子の国際サテライトサーキットが日本で開催されるようになると古橋も参戦し、同年第4戦の国際女子広島オープンのダブルスで優勝している[27]。他に毎日テニス選手権[28]、関東オープンテニス[29][30]、カワサキオープンなども相性が良く[31]、複数回優勝して強さを見せた。現役引退後は、地元の愛知県を拠点にテニスコーチとして後進の指導にあたる傍ら、地域開催のテニスイベントへの出演や普及活動に従事して競技の振興に寄与している[32][33]。