第38軍団 (ウクライナ陸軍)

From Wikipedia, the free encyclopedia

第38軍団(だい38ぐんだん、ウクライナ語: 38-й армійський корпус)は、ウクライナ陸軍軍団沿カルパチア軍管区隷下。

第二次世界大戦

第38軍の兵科記号

1941年8月3日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍第8機械化軍団を基盤に第38軍としてウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルニーヒウ州で創設された。軍司令部のみ編成されて隷下部隊は後日到着予定だったが、戦況悪化で到着せず、司令部の方が中部チェルカースィ州に再配置された。隷下部隊が配属されて編成完結したが、全隊が定員未充足で第47戦車師団、第132戦車旅団には戦車が全くなかった[1]

同月から最前線の北部キエフ州に再配置され、キエフを防御したが9月に陥落した。以降もドイツ軍の攻勢を防御したが、中部ポルタヴァ州ポルタヴァ、北東部ハルキウ州ヴォフチャンスクへ後退し、12月にロシアベルゴロド州ヴァルイキ方面で戦線を安定化させた。

1942年5月、バルヴェンコヴォ、ヴォフチャンスクの2方面で攻勢を開始したが、死傷者500人以上の損害を受けて撃退された。

1942年7月、激戦地のロシアスターリングラード州に再配置され、スターリングラードを防御したが、1週間ほどで壊滅して第1戦車軍の基盤となり解隊された。

1942年8月、第4予備軍を基盤に再編された。9月からロシアヴォロネジ州に配備され、ヴォロネジ防衛戦、ハルキウ解放作戦、クルスク解放作戦に参加した。

1943年9月に北部スームィ州で攻勢を開始し、スームィロムヌィ、プリルキーを解放した。以降はジトーミル解放作戦、リヴィウ解放作戦、ポーランドチェコスロバキア攻勢に参加して終戦した[1]

1945年7月、イヴァーノ=フランキーウシク州に移駐し、リヴォフ軍管区に配属された[2]

1946年2月、ソ連地上軍第38諸兵科連合軍に改編された[2]

1946年3月、沿カルパチア軍管区に配属された[2]

冷戦期

1968年2月、ソビエト政府より、赤旗勲章を授与された[2]

1968年8月、プラハの春チェコスロバキア社会主義共和国に派遣され、チェコスロバキア人民軍を鎮圧した。

ウクライナ

ヴィーンヌィツャの慰霊碑

1991年12月、ソビエト連邦の崩壊ウクライナの独立で創設されたウクライナ軍に編入した[2]

1993年12月、部隊縮小に伴い、第38軍団に改編され、2003年5月に解隊された[3]

編制

出身者

出典

Related Articles

Wikiwand AI