米山梅吉
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1868年(慶応4年)に江戸(東京)芝田村町(現在の東京都港区新橋付近[2])の大和国高取藩植村家の藩士和田竹造の三男として生まれる。1872年(明治5年)7月12日、梅吉4歳の時に父竹造が43歳で他界したため、母親の郷里である静岡県三島に移住する。7歳の時、兄、和田栄次郎が教鞭を取っていた静岡県駿東郡長泉村(現長泉町)納米里の映雪舎に入学。幼時から神童と言われる英才であった梅吉は、11歳で長泉村上土狩の旧家である米山家に望まれ養子となる。1881年(明治14年)に沼津中学[注釈 1]に入学するも2年で退学し上京。銀座の江南学校、土居光華塾で学び後の盟友藤田四郎と出会う。19歳で東京英和学校(青山学院の前身)入学、米人講師のもとで英語を学ぶ。翌年に正式に米山家に入籍、米山姓を名乗り年末に渡米。
8年間の在米中、オハイオ州・ウェスリアン大学[注釈 2]やニューヨーク州・シラキュース大学などで法学を学ぶ。またこの在米中に澤田半之助と知り合い、澤田とはその死去まで(澤田家とはその後も)交友を持った[3]。また第二の師とも言うべき青山学院長の本多庸一に偶然出会う。本多との当時の様子が青山学院発行の『米山梅吉傳』[4]の佐々木邦執筆の記事に執筆されている「(米山は)殆ど先生を独占して毎晩押しかけたものと見える。或晩先生は話の合間合間に火鉢の灰に火箸で頻りに字を書いていた。普通の青年なら何かの手すさびと思って見逃すのだが、米山さんはするどい。しかし、本多先生もボンヤリしているようでナカナカ油断のならない人だ。米山さんがそれとなく灰の上の字面を辿っていたら、巧遅と拙速というのだった。巧みなれども遅し、拙なれども速し、これが米山さんにはピンときた。本多先生は米山さんの性格を察して功を急がないようにそれとなく戒めたのである。米山さんも察しよく、それとなく受け入れて、これを一生の座右の銘とした。」
1895年(明治28年)に帰国。翌年 勝海舟に師事、博文館より「提督彼理(ペルリ)」を出版。勝は「提督彼理」の原稿を見て喜び「初雷発東隅・丙午仲夏」と題字を書いた。更にこの書に藤田四郎も序文を寄せている。
1897年(明治30年)井上馨の紹介で三井銀行に入行、神戸支店次席時に欧米銀行業務視察命令により約1年間の欧米出張。帰国後、大阪支店次席、大津支店長、横浜支店長、大阪支店長を経て、1909年(明治42年)常務取締役就任。早川千吉郎などもいたが実質的に池田成彬と共に実権を掌握。終始一貫して池田の補佐的役割にあったが、池田に対抗して青学出身者を三井銀行・三井信託にスカウトし、その中に間島弟彦、万代順四郎らがいた。また大津支店長時代には『銀行行餘録』を出版。[5]
1920年(大正9年)に日本初のロータリークラブである「東京ロータリークラブ」を福島喜三次らと共に設立し、初代会長に就任。内外編物(現・ナイガイ)設立に深く関わった[6]。
1924年(大正13年)三井信託株式会社(現在の三井住友信託銀行)を創立し取締役社長に就任。1934年、三井報恩会の初代理事長に就任、ハンセン病、がん、結核等医療・福祉関係への助成、青森県西平内村や岩手県彦部村など疲弊した農家の復興事業、全国の大学・研究団体への助成をおこなう。また三井信託社長時代の1931年、長泉村の小学校に図書館を寄贈、鉄骨造りの建物、蔵書1000冊も全て米山の寄附によるものであった。
1937年、財団法人緑岡小学校(現、青山学院初等部)を創立し校長に就任。1935年、多摩帝国美術学校(多摩美術大学) 校賓[7]。
1938年12月9日には、貴族院議員に勅選される[8]。第15回赤十字国際会議日本赤十字代表委員などを歴任。1928年に紺綬褒章受章、1942年に勲四等瑞宝章受章。1946年4月28日、静岡県駿東郡長泉町で死去。享年78歳[2]。
1969年(昭和44年)9月16日、米山家本邸の場所に地元ロータリークラブ会員などにより、米山梅吉の遺徳をしのび顕彰する為、米山梅吉記念館が設立開館した[5]。
年譜
- 1868年(慶応 4年) 2月4日 江戸芝田村町稲村家(大和国高取藩主)士族 和田竹造の三男として誕生、この年9月明治と改元
- 1872年(明治 5年) 父和田竹造逝去(享年43歳)
- 1881年(明治14年) 沼津中学校[注釈 1]入学
- 1883年(明治16年) 沼津中学校[注釈 1]退学、上京、銀座江南学校に入学
- 1884年(明治17年) 土居光華塾入門
- 1885年(明治18年) 東京府吏員採用試験に合格
- 1886年(明治19年) 東京英和学校入学
- 1887年(明治20年) 東京英和学校退学、東京銀座福音会英語学校入学、米山藤三郎の養嗣子として入籍、年末渡米、8年間の在米期間中にオハイオ州・ウェスリアン大学、ニューヨーク州・シラキュース大学にて修学[注釈 2]
- 1895年(明治28年) 帰国
- 1896年(明治29年) 東京博文館より『提督彼理』出版(題字 勝海舟・序文 藤田四郎)、米山はると結婚、日本鉄道会社入社
- 1897年(明治30年) 長女 愛子誕生、合名会社三井銀行入社本店詰
- 1898年(明治31年) 三井銀行神戸支店次席、銀行業務調査で欧米出張を命ぜられ米国各地を視察、次女 澄子誕生
- 1899年(明治32年) アメリカからイギリス、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギーを視察後帰国、三井銀行本店調査課勤務、池田成彬、丹幸馬とともに『欧米銀行業務取調報告書』を作成
- 1900年(明治33年) 三井銀行本店営業部、三井銀行大阪支店支店長代理
- 1901年(明治34年) 長男 東一郎誕生
- 1902年(明治35年) 三井銀行大阪支店次長、三井銀行大津支店長
- 1903年(明治36年) 三井銀行深川支店長
- 1904年(明治37年) 三井銀行横浜支店長
- 1905年(明治38年) 次男 駿二誕生
- 1906年(明治39年) 三男 桂三誕生
- 1907年(明治40年) 三井銀行大阪支店長
- 1909年(明治42年) 株式会社三井銀行常務取締役兼大阪支店長、静岡県駿東郡長泉村下土狩に別邸の土地約3000坪を取得
- 1917年(大正 6年) 静岡県駿東郡長泉村下土狩に別邸を建築、政府特派財政経済委員に任命
- 1918年(大正 7年) 米国ダラスで福島喜三次を訪ねる、帰国後團琢磨とともに中国に渡り孫文と会見、帰国
- 1919年(大正 8年) オハイオ州ウエスレアン大学よりマスターオブアーツの学位を受ける
- 1920年(大正 9年) 10月20日 日本で最初のロータリークラブ、東京ロータリークラブ誕生 会長となる、内外編物株式会社の創立に参画
- 1921年(大正10年) 長男 東一郎逝去(享年20歳)、英米訪問実業団に参加
- 1922年(大正11年) 青山学院に米山東一郎記念寄附の道場落成
- 1923年(大正12年) 静岡県駿東郡長泉村に教育基本金として3000円を寄附、三井銀行常務取締役を辞して取締役となる
- 1924年(大正13年) 三井信託株式会社(現:三井住友信託銀行)創立 初代社長
- 1926年(大正15年) 次男 駿二逝去(享年21歳)、国際ロータリー理事就任、政府金融制度調査会委員、この年12月昭和に改元
- 1927年(昭和 2年) 日本評論社より『銀行行餘録』出版、三井建物株式会社創立発起人総代、財団法人金融研究会評議員
- 1928年(昭和 3年) 国際ロータリー第70区初代ガバナーに就任、紺綬褒章受章、小六位に叙せられる
- 1931年(昭和 6年) 静岡県駿東郡長泉村立長泉小学校に米山文庫を寄贈
- 1934年(昭和 9年) 財団法人三井報恩会理事長、三井信託株式会社社長辞任会長に、三井銀行取締役辞任『幕末西洋文化と沼津兵学校』出版
- 1936年(昭和11年) 三井合名会社理事辞任、実業之日本社より『常識関門』出版、三井信託株式会社取締役会長辞任
- 1937年(昭和12年) 財団法人緑岡小学校校長・理事長、緑岡幼稚園を創立
- 1938年(昭和13年) 千倉書房より『看雲録』出版、貴族院議員に勅選
- 1942年(昭和17年) 勲四等に叙せられ瑞宝章受章
- 1944年(昭和19年) 青山学院緑岡初等学校児童200名が学童疎開にて静岡県湯ヶ島落合楼に向け出発、財団法人三井報恩会理事長辞任
- 1946年(昭和21年) 4月28日 静岡県駿東郡長泉村大字下土狩の別邸にて逝去(享年78歳)[9]
栄典
著書
単著
- 『開国先登 提督彼理』博文館、1896年9月。全国書誌番号:40019362。
- 『提督ぺるり』金尾文淵堂、1902年4月。全国書誌番号:40019363。
- 『起てる米国』斎藤章達、1918年6月。全国書誌番号:43026226。
- 『提督ペルリ』柴田繁十郎、1923年8月。全国書誌番号:73020806。
- 『銀行行余録』日本評論社、1927年9月。全国書誌番号:46082293。
- 『ロータリー・クラブ』社会教育協会〈民衆文庫 第26篇〉、1929年4月。全国書誌番号:44034395。
- 『東また東』竹柏会〈心の華叢書〉、1930年3月。全国書誌番号:44050909。
- 『幕末西洋文化と沼津兵学校』米山梅吉、1934年4月。全国書誌番号:47015904。
- 『幕末西洋文化と沼津兵学校』三省堂、1935年10月。全国書誌番号:44047288。
- 信託協会 編『米山前会長演説集』信託協会、1936年9月。全国書誌番号:46075363。
- 『常識関門』実業之日本社、1937年1月。全国書誌番号:46057415。
- 『看雲録』千倉書房、1938年9月。全国書誌番号:46048632。
- 米山梅吉記念館 編『米山梅吉俳句集 藍壺俳句』米山梅吉記念館、2009年9月。全国書誌番号:21662980。
翻訳
- ポール・ハリス『ロータリーの理想と友愛』三省堂、1936年5月。全国書誌番号:47034493 全国書誌番号:48012262。
- ポール・ハリス 著、富田英壽 編『「ロータリーの理想と友愛」読本』富田英壽、2009年7月。全国書誌番号:21659056。
