紅梅亭
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紅梅亭(こうばいてい)は、明治から大正時代にかけて大阪府大阪市の法善寺北側(ミナミ)にあった寄席。
当初の名前は「泉熊席」(いずくませき)、次いで「今嘉の席」(いまがのせき)[1]。
初代桂文枝は幕末から明治にかけて「泉熊席」を桂派の拠点として、4代目桂文治・初代笑福亭松鶴・3代目笑福亭吾竹・3代目林家正三・2代目林家木鶴らと興行を打ち、当時の主流だった林家派に挑んだ[2]。やがて桂派は大阪落語の一大勢力となる[3]。しかし初代文枝の死後、2代目襲名をめぐって初代桂文三と桂文都が争い、1882年3月に初代文三の襲名で決着する[4]。これを機に文都は「2代目月亭文都」と名乗り、今度は「泉熊席」の使用を2代目文枝と争って、こちらには勝利を収める(2代目文枝は東に隣接する「金沢亭」を拠点とした)[4]。
2代目文枝決定から10年後の1892年に、文都は3代目笑福亭松鶴・2代目桂文團治・初代笑福亭福松と相次いで手を結び、1893年に「浪花三友派」を結成する[5]。「今嘉の席」となっていた旧「泉熊席」は、「紅梅亭」として1894年1月より浪花三友派の拠点の一つとなった[5]。席の改称は、同年に買収した資産家・原田ムメが東京の「白梅亭」に対抗する意味を込めたという[要出典]。
その後、「金沢亭」の人気に押され、1918年には、その金沢亭を買収した吉本興業創始者の吉本泰三(吉本吉兵衛)・せい夫妻によって買収され、「西花月亭」と改称したが、その後閉館した。
6代目笑福亭松鶴によると、席亭を2代目林家染丸、2代目桂圓枝、初代橘家蔵之助、3代目三遊亭圓馬の4人が連日南地のお茶屋に連れ出して散財させた。それが吉本興業への買収の原因であり、戦後期の上方落語衰退の一因であると述べている。[要出典]
現在よみうりテレビ(近畿ローカル)で放送されている演芸バラエティ番組「平成紅梅亭」のタイトルは、この紅梅亭に由来する。番組のセットも当時の紅梅亭の雰囲気をそのまま生かしている。[要出典]