耶律買哥

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耶律 買哥(やりつ マイゲ、? — 1259年)は、初期のモンゴル帝国に仕えた政治家。モンゴル帝国建国の功臣の一人の耶律阿海の孫にあたる。

買哥はモンゴル帝国建国の功臣の耶律阿海の子の耶律朱哥の息子であった。

買哥は若年の頃より諸国語に通じていたとされ、チンギス・カンよりジスン服を下賜されている。父の没後は「中都路イェケ・ダルガチ(也可達魯花赤)」職を継いでいるが、これは各諸侯が派遣するダルガチを取りまとめ、それぞれの権益と紛争を調整する役目を担うものであった。

1258年戊午)にはモンケ・カアンによる四川攻めに加わったが、釣魚山の戦いのさ中に陣没した。妻の移剌氏は夫を早くに失った哀しみから早世し、特に「貞静」と贈り諡されたと伝えられる[1]

息子は耶律老哥・耶律驢馬ら7人がいた[2]

桓州耶律家

脚注

参考文献

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