草野峻平
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両親は役者だったが、結婚時に引退し、その後は普通に働き始めていた[3] 。草野が小学校に入学後、両親は手がかからなくなったことから趣味として地元の市民を集めて劇団のような活動を立ち上げた[3]。公演の時に小学生だった草野は親から「お前出ろ」と言われて初舞台を踏む[3]。中高時代は大学に進学するまではほとんど全く舞台活動はしておらず、観劇もしていなかった[3]。
明治大学文学部演劇学専攻卒[1]。当時は全然演劇を勉強する気は無かったが、母が同大学のパンフレットを「へー、演劇学専攻なんてのがあるのねー」と言って見ていた時に草野がパンフレットを取り、「あー、俺ここ行こ」と言っていたようであり、演劇のことは忘れていたものの、進路選びで「あ、俳優。そうか、その手があったか」と思っていた[3]。その時は演劇学専攻の人たちは「みんな役者になるもんだ」と思っていたが、大学3年生になり周囲が就活し出して困惑していた[3]。役者になる覚悟などがあったわけではなかったが、「就職するのもちげーな」と思ってたことから、ずるずると続けていた[3]。大学時代は明治大学文化プロジェクト(現・明治大学シェイクスピアプロジェクト)第4回の『オセロー』で初舞台を踏み、舞台監修をしていた原田大二郎に師事する。明大演劇演劇学専攻同期が創設した「声を出すと気持ちいいの会」に入団し、2013年まで全公演に出演した[1]。
プロである自覚が生まれたきっかけは、阿佐ヶ谷スパイダース公演の長塚圭史作・演出の舞台『あかいくらやみ 〜天狗党幻譚〜』の手伝いで黒子を演じていたが、その現場で初めてプロの人物たちの仕事ぶりを見て触れて「あ。俺、今のままじゃダメだ」、「ちゃんと、勉強しなきゃ」と感じたからだという[3]。その『あかいくらやみ』で草野が「一番かっこいい」と思っていた横田栄司に憧れ[3]、それまで文学座の芝居は見たことなかったが、「よし、文学座入ろう」と思い[3]、その時にいた劇団を退団し、2014年に文学座附属演劇研究所に入所[1]。
人物
学生時代から老け顔だったこともあり、吹き替えでも老け役やきな臭いおじさんの役を得意とする[1]。