荊楚歳時記 From Wikipedia, the free encyclopedia 『荊楚歳時記』(けいそさいじき)は、中国南方の荊楚地方(長江中流域)の年中行事を記した月令の一種で、南朝梁の宗懍(そうりん)によって書かれ、隋の杜公瞻(とこうせん)によって注釈が加えられた。 成立 『荊楚歳時記』の本来の題は『荊楚記』といったらしい[1]。著者の宗懍は南朝梁の普通6年(525年)の秀才だったが、554年に西魏が江陵を陥落させたときに北へ連行され、北周の武帝の保定年間に64歳で没した。 正確な成書年は不明だが、杜台卿『玉燭宝典』が『荊楚記』を引用しているため、それ以前の成立である。一方、注を書いた杜公瞻は杜台卿の甥で、注の中で『玉燭宝典』を引用している。 内容 正月一日からはじめて、順番に年中行事を記す。守屋美都雄によれば、それ以前の書籍にくらべて、『荊楚歳時記』には以下のような特徴がある[2]。 生活の実相をそのまま描写しており、儒教色や五行思想の影響が薄い。 宗族結合のことが記されていない。 辟邪、辟病のことが大半を占める。 一方、杜公瞻の注は多数の書籍を引用し、独自の風俗の記述もなされているため、本文に劣らず重要である。たとえば端午と屈原の関係は本文になく、注にのみ見える。北方と南方の習慣の違いをしばしば比較しているのも特徴である。 テクスト 『荊楚歳時記』は明以降の叢書である『説郛』『宝顔堂秘笈』『広漢魏叢書』などに収録されている。『広漢魏叢書』本がもっとも普及しているが、『宝顔堂秘笈』本は『広漢魏叢書』本に載せない文章を含む。 これらの現行本は本来の形とはかなり異なっているらしく、他の書物に引用されている『荊楚歳時記』の文が現行本に見えないことが多い(佚文)。 日本では元文2年(1737年)刊の和刻本がある[3]。 日本語訳 守屋美都雄による訳注がある(帝国書院1950)。1978年に補訂を加えて平凡社東洋文庫に収められた。 脚注 [1]守屋(1950) p.2 [2]守屋(1950) pp.4-5 [3]『和刻本漢籍随筆集』 11巻、汲古書院、1986年。ISBN 9784762920943。http://www.kyuko.asia/book/b9389.html。 参考文献 『四庫全書総目提要』巻70・史部26・地理類三・荊楚歲時記 守屋美都雄『校註荊楚歳時記』帝国書院、1950年。 外部リンク ウィキクォートに荊楚歳時記に関する引用句集があります。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 荊楚歲時記 「荊楚歳時記」『寶顏堂秘笈』 廣集第一。http://ctext.org/library.pl?file=80854&page=42。(文明書局による石印本、1922年) 「荊楚歳時記」『増訂漢魏叢書』 第77冊。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2597325/2。 Related Articles