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藤井道夫

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1922-07-24) 1922年7月24日
没年月日 (2007-12-23) 2007年12月23日(85歳没)
藤井 道夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 (1922-07-24) 1922年7月24日
没年月日 (2007-12-23) 2007年12月23日(85歳没)
身長
体重
171 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手、三塁手
プロ入り 1950年
初出場 1950年3月11日
最終出場 1957年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪急ブレーブス (1965)

藤井 道夫(ふじい みちお、1922年7月24日 - 2007年12月23日)は、香川県高松市宮脇町出身[1][2]のプロ野球選手(外野手)。

亀阜小から高松商業学校に進学[2]。当初は陸上部に所属していたが、三年次に野球部入りに反対していた父が急逝したため、同年秋から野球部に転部した[2]。四年次にファーストのレギュラーの座を掴むと、1939年に春・夏連続で甲子園大会に出場[3]。当時のチームメイトに三好主(のち巨人)がいる。

卒業後は北京の社会人チームである華北電信に入社し、同チームでプレー[2]。1943年に応召され、シベリア抑留を経て1948年に復員すると、高松商の先輩であった楠安夫が在籍していたことから常盤産業に入社した[2]。

1950年に2リーグに分裂すると、高松商OBであった西村正夫監督の誘いで阪急ブレーブスに入団[2]。俊足巧打の選手として7年連続で規定打席に到達するなどの活躍を見せ、1952年には全試合に出場しリーグ2位の54盗塁を記録した[4]。1957年限りで引退すると、その後は長らく阪急でコーチ (1965年)、スカウト、編成部長等を歴任。スカウトとして担当した選手には長池徳士[5][6]、福本豊[7]、山口高志[8]、熊野輝光[9]などがいる。

2007年12月23日に肺炎のため兵庫県西宮市内の病院で死去[7]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1950 阪急 1123763424380944109351553--30--1158.234.298.319.616
1951 9033230439791243108262383--22--3163.260.316.355.671
1952 1084664066210518521393154127--49--41911.259.344.342.687
1953 11436733935951233122351667--21--02210.280.322.360.682
1954 1385174457211624111453636913356--03310.261.343.326.669
1955 130508437581221632150552061345113319.279.358.343.702
1956 14455047661126104114739231514257012510.265.345.309.653
1957 4054503710083000040081.140.204.160.364
通算:8年 8763170279937373010224169282601876160929011216962.261.333.332.664
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 26 (1950年 - 1957年)
  • 42 (1965年)

出典

関連項目

外部リンク

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