山手の丘と、のちに関内と呼ばれる一帯とは元は地続きであったが、横浜港開港の翌年の1860年(万延元年)、居留する外国人と日本人との間にトラブルが生じることを避けるため堀川を開削。この時に初代の谷戸橋が架けられた。この橋は木橋で[1]、今の谷戸橋よりやや下流側の水町通りに接続した。現在はその付近にフランス橋が架かる[2]。1866年(慶応2年)には山手の側も外国人居留地となり、外国人からは「キャンプヒル・ブリッジ」とも呼ばれた[1]。1887年(明治20年)には、横浜で4番目となる鉄橋に架け替えられた[3]。