野宮神社
From Wikipedia, the free encyclopedia
所在地
京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1
位置
北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度座標: 北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度
主祭神
野宮大神(天照皇大神)
社格等
村社
| 野宮神社 | |
|---|---|
|
黒木鳥居 | |
| 所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1 |
| 位置 | 北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度座標: 北緯35度1分4秒 東経135度40分27秒 / 北緯35.01778度 東経135.67417度 |
| 主祭神 | 野宮大神(天照皇大神) |
| 社格等 | 村社 |
| 創建 | (根拠不明)大同4年(809年) |
| 例祭 | 春5月第3・4日曜 秋10月第3日曜 |
| 地図 | |

野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨野にある神社。旧社格は村社、現在は神社本教の被包括法人となっている[1]。
祭神
- 本殿 - 野宮大神(天照皇大神)
歴史
豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる[2]。天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王(平均12-13歳、最年少2歳、最年長で28歳)の中より新たな斎王が卜定され、宮中の初斎院で1年間、そして嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り1年間潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。その時の行列を「斎王群行」といい、1998年(平成10年)より毎年10月の例祭において氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子を再現している。
野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王のときから現在の野宮神社の鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の制度は南北朝時代、後醍醐天皇の代の祥子内親王を最後に廃絶し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、度重なる戦乱の中で衰退した[注釈 1]。
後に後奈良天皇、中御門天皇らの綸旨により再興され、現在まで皇室からの厚い崇敬を受ける。近年では、1980年(昭和55年)3月18日に浩宮徳仁親王、1994年(平成6年)2月12日には秋篠宮文仁親王並びに同妃が参拝した。
摂末社
境内
- 源氏物語「賢木」の巻の舞台とされ、謡曲「野宮」の題材ともなっており境内各所に案内板が設けられ授与される御守にも、それらをモチーフにしたものが見られる。
- 鳥居は樹脂加工がされており、樹皮がついたままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用し作られた貴重な「黒木の鳥居」で、形としてのみは日本最古の鳥居形式を伝えている。また、脇に備えられた垣根は、クロモジで作られた小柴垣であり、鳥居とともに源氏物語作中での風景描写として描かれた往古の潔斎空間の風情を醸し出している。
- 苔を用い嵐山を表した美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」をはじめ、モミジ・椿・石楠花・馬酔木などが境内を彩り、季節毎にその表情を変え参拝者を楽しませる。
- 境内社の野宮大黒天は縁結びの神として有名で、大黒天に参詣し、その横の「お亀石」をさすれば願いが叶うと言われ、多くの参拝者の祈願によって美しく黒光りしている。
- 境内付近に群生する真竹は「野宮竹」と称され、古くは大嘗祭等に使用されたものである。
- 浩宮徳仁親王の参拝を記念し植樹されたモミジの脇に建つ社号標は、明治時代の京都の書家、山田永年の揮毫によるものである。
- 大山弁財天前の庭には、村山古郷作「野宮の竹美しや春しぐれ」の句碑が建つ。
- 本殿前の賽銭箱は、台湾の台北一楽園大飯店からの奉納品である。
