阪神浜田球場
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沿革


本球場の場所はそれまで、阪神電鉄の路面電車(国道線・甲子園線)の車庫として使われていたが、1975年5月5日に国道線等の線路と共に廃止された。
廃止された車庫の跡地については当初、複数の大手スーパーからゼネコンを通じてショッピングセンター(SC)の開発計画が提案されたことを受けて、阪神電鉄でも詳細な市場調査をした結果「勝算あり」と判断していた。
しかし当時は大規模小売店舗法の規制が厳しく、新たなSCの建設には行政と地元に対する事前協議が必要だった。尼崎市に打診したところ、当時申請が出ていた「つかしん」の審査が決着するまでの数年間は新規の届け出は受け付けない、との回答だった。
そこで、当時阪神タイガースの球団社長を兼ねていた小津正次郎専務取締役の鶴の一声により、SC建設までの数年間、跡地を二軍の本拠地および練習場として使用することになり[1]、1979年3月30日に本球場が竣工、使用開始された。二軍選手の練習場が主な使用目的であり、二軍(ウエスタン・リーグ)の公式戦は阪神甲子園球場での開催が大半で、本球場はシーズン終了近くの雨天振替試合として行われる程度であった。
1990年代には、施設の老朽化やグラウンドの狭隘化などのため、阪神甲子園球場南方約2.5kmの位置にある西宮市鳴尾浜に阪神鳴尾浜球場を建設することになり、同球場は1994年10月7日竣工、1995年に二軍本拠地を移転した。[2]
移転後も球場自体は残され、地元の草野球・少年野球の愛好家に開放されていた。ただ、末期は老朽化のためボールカウンターランプは外された状態になっていた。
2016年をもって球場は閉鎖され、解体された。跡地には物販販売・飲食店舗が整備されることが公表され[3]、のち家電量販店や飲食店などが営業を開始しているほか、阪急阪神エムテックの尼崎工場が整備されている。