陪臚
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陪臚(ばいろ)は、今日雅楽の唐楽に含まれる管絃と舞楽がある楽曲の一つであり[1]、林邑楽(林邑八楽、これは今のベトナムのあたりに2世紀から6世紀ごろに栄えた林邑国の楽舞を指す[1])の一つとされている。『楽家録』には「波゜゜以呂」という訓が付けられており、陪臚破陣樂という別名で呼ばれることもある[2]。
平調で、曲名は『楽家録』によれば、唐招提寺で4月8日の陪臚会に奏するためこの名があるのだという[2]。
『織田仏教大辞典』には「陪臚 バイロ」の項があり、
[天名] Bhairava 自在天の一形なり、陪臚(バイロ)破陣曲は天平時代に行はれたる舞楽にして、唐招提寺の陪臚会(ヘロエ)に之 を奏す、その蹈舞の際の走り方を称して陪臚(ヘロ)走りと云ふ。[3]
との記述がある。
曲の由来、伝承
『教訓抄』の記述によれば、班朗徳(はんろうとく、現在不詳)が作ったもので、戦に臨む際にこの曲を7回繰り返し奏して、「舎毛音(しゃもうのこえ)」があれば味方の陣が勝ち、敵陣は敗れる。しかしそれがなければ味方の陣は破れ、敵陣が勝つという[1][4]。我が国には婆羅門僧正、或は林邑僧仏哲によって伝えられたとされる[1]。舞は聖徳太子が物部守屋と戦った際、この曲を奏すると舎毛音があり、守屋を討ち果たすことができたことを模して作られたのだとされる[4]。しかし聖徳太子の時代にはまだ唐楽も林邑楽も伝来していなかったと考えられ、四天王寺など聖徳太子にゆかりのある寺院で舞楽が受け継がれる過程で、このような伝承が育まれていったのだろうと考えられている[1]。