陸豊市
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地理
歴史
前111年(元鼎6年)に南越国を滅ぼした前漢により海豊県が設置され陸豊地区も海豊県の管轄下に置かれた。622年(武徳5年)、唐により現在の陸豊市の地区に新たに安陸県が設置されたが、627年(貞観元年)に再び海豊県に編入された。
1731年(雍正9年)、清により海豊県から分けられて陸豊県が設置された。清には恵州府に属する県であった。中華民国の広東省で道制が敷かれた際(1914年 - 1920年)には潮循道に属した。
中華人民共和国成立後、陸豊県は1958年に汕頭地区所属、1983年に恵陽地区、1988年に汕尾市と所属が変わった。また、1988年には陸河県を分離された。
1995年1月19日に県級市に昇格し現在に至る。
行政区画
下部に3街道、17鎮を管轄する
- 街道
- 東海街道、河西街道、城東街道
- 鎮
- 甲子鎮、碣石鎮、湖東鎮、大安鎮、博美鎮、内湖鎮、南塘鎮、陂洋鎮、八万鎮、金廂鎮、潭西鎮、甲東鎮、河東鎮、上英鎮、橋沖鎮、甲西鎮、西南鎮
文化
交通
経済
産業は機械、化学品、水産加工、医薬品など。
1980年代から1990年代初頭にかけては、深圳などの周辺地域が政策的に着目されたのに伴い、陸豊も一定の経済発展が進み、電気産業・食品産業などでは好意的な知名度があった。しかし90年代から官吏の腐敗、発展計画や治安などの問題により発展の見通しが立たず、工場は閉鎖され、投資を失った。90年代後半から2000年代にかけて、重要産業のネットワークから切り離された陸豊は多くの失業者を生むこととなり、若年層は広州や深圳などの周辺都市へ流出した。
治安
陸豊は治安上の問題があり、広東省が定めた省内8つの「治安重点整治地区」の一つである[1]。市民の多くは行政に不満を持っており、多くの行政上の腐敗が市の経済の低迷の原因となっていると考えていて、ネット上では「著名貪官」も取りざたされている[2]。2011年には東海街道烏坎村で役人の腐敗を原因とする大規模な住民運動が発生して村幹部を更迭に追い込み、住民運動側が直接選挙によって村長選挙を勝ち取っている(烏坎事件)。
陸豊は中国製覚醒剤販売の中心地として知られている。2012年の統計によれば中国で製造される覚醒剤の約1/3が陸豊市で生産されており、特に甲西鎮・甲子鎮・甲東鎮の「三甲地域」に集中している[3]。広東省は2013年12月29日に甲西鎮博社村で覚醒剤製造組織のリーダーと生産に携わっていた一族を逮捕し、工場を解体した。この件はセンセーショナルに報道され、覚醒剤組織との闘争がアピールされた。

