隷定
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漢の時、魯の恭王が孔子の旧宅を壊して、壁の中から古漢字で書写した儒教の経典を発見した。孔子の後孫である孔安国はこの1連の文献を整理し、朝廷に献じた[3][4]。孔安国に仮託された『偽古文尚書』の「尚書序」では「科斗書廢して已に久しく、時人能く知る者無く、聞く所の伏生の書の考論文義を以て、其の知るべき者を定め、隸古定を為す」と言い、唐の孔潁達の『尚書正義』は解釈して「隸古は、正に謂う、古文體に就(つ)いて隷に従って之れを定む、と」と説いた。隷定という言い方は、この“從隸定之(隷に従って之れを定む)”の節略から来ている[5]。
また、人によっては後世の楷書で古漢字を転写する方法を楷定ということもある[6]が、楷書を“今隷”や“隷書”と呼ぶこともある[7]:79[8]

