雲光院

日本の戦国~江戸時代の女性、武将・飯田直政の娘、征夷大将軍・徳川家康の側室 From Wikipedia, the free encyclopedia

雲光院(うんこういん、天文23年2月13日1554年3月16日)-寛永14年1月22日1637年2月16日[1])は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康側室[2]飯田氏[3]。名は須和。号は阿茶局民部卿一位局一位尼。実子に神尾守世神尾守繁、養子に神尾元勝菊姫がいる。

死没 寛永14年1月22日1637年2月16日)(83歳没)
京都
別名 須和、阿茶局、民部卿、一位局、一位尼
概要 うんこういん 雲光院, 生誕 ...
うんこういん
雲光院
雲光院像(德川記念財団蔵)
生誕 飯田須和
天文23年2月13日1554年3月16日
甲斐国甲府
死没 寛永14年1月22日1637年2月16日)(83歳没)
京都
墓地 雲光院東京都江東区三好
上徳寺京都市下京区
別名 須和、阿茶局、民部卿、一位局、一位尼
宗教 浄土宗
配偶者 神尾久宗徳川家康
子供 実子:神尾守世神尾守繁
養子:神尾元勝菊姫
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生涯

父は飯田直政(久右衛門)、甲斐武田家の家臣であった[4][5]

今川家の家臣で主家没落後に一条信龍に属した神尾久宗(孫兵衛)に嫁いだ[4](『江東区史』では、孫兵衛忠重[5])。久宗との間に二男(神尾守世、神尾守繁)をもうける。天正5年(1577年)7月に久宗は亡くなる。

その後、天正7年(1579年)に家康に召された[注 1]。戦場においても幾度となく家康に供奉し、小牧・長久手の戦いの陣中で一度懐妊するも流産した。天正17年(1589年)に亡くなった西郷局の替わりに徳川秀忠松平忠吉を養育しており、長男の神尾守世も秀忠に近侍した。

才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されており、例えば慶長13年(1608年)に毛利秀就喜佐姫が嫁いだ際には、本多正信と共に付属する女房衆へ宛行う切米の書立に署名をしている。また慶長16年(1611年)に徳川義直疱瘡を患った際に、家康がその症状が軽いことを伝える自筆書状の宛先には、実母のお亀の方以外に阿茶局の名もある[6]。また慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、常高院大蔵卿局と会見して和議の成立に尽力した。

家康の死後に江戸に移り、竹橋に屋敷と300石の化粧料が与えられた(後に神田鎌倉町に移転)。雲光院と号したが、剃髪はせず、秀忠の没後に正式に剃髪したともされる。元和6年(1620年)に徳川和子入内の際に母親代わりの守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を授けられ、一位局一位尼と称されるようになった。

寛永7年(1630年)の秀忠・家光上洛時に供奉する。

寛永14年(1637年)1月22日に死去[3]。83歳[7]。墓所は雲光院東京都江東区三好)と上徳寺京都市下京区)。法号は雲光院殿従一位尼公松誉周栄大姉[8](『江東区史』では、雲光院殿一位尼公正誉周栄大姉[7])。

系譜

登場作品

映画

テレビドラマ

脚注

参考文献

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