高橋睦郎
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福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ[1]。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ[2]。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る[2]。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる[3]。大学卒業後、1962年上京し、日本デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。以後、40歳代半ばまでコピーライターとして広告会社に勤務。
中学時代から「毎日中学生新聞」に作文・詩・短歌・俳句を投稿[4]。在学中、処女詩集『ミノ・あたしの雄牛』を自費出版。また、『現代詩手帖』に作品を投稿し、採用される。1974年、学生時代の俳句をまとめた句集『舊句帖』の出版を機に安東次男に師事[4]。現代詩も短歌・俳句の伝統詩も同じく詩であるという立場から各ジャンルを平行して制作[4]。「非個性の詩、普遍的な詩」を志し、作風は端正かつ放胆[4]。伝統詩においては定型を守りつつ、時代を超えた悠然とした詩作を試みる[5]。詩のみならず、オペラ、新作能などの分野で精力的に芸術活動を続ける。詩の朗読でも知られる。
西洋古典文学にも深く関わり[6]、ギリシャ悲劇「王女メディア」「オイディプス王」の蜷川幸雄演出の上演台本を作成した。
2024年、文化勲章受章。