鯨井 (川越市)
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地理
川越市の西部[4]の入間川左岸側の低地(沖積平野)に位置する 東側で寺山や上寺山、南側で大字上戸や大字的場の飛地、西側で大字吉田や下小坂、北側で平塚と隣接する。西方の天沼新田や吉田などに挟まれた場所に飛地が二箇所ある[4]。その飛地の境界線は他の地区の飛地とも絡みやや錯綜している。 また、南方の的場と笠幡の挟まれた場所にも飛地があったが[4]、土地区画整理事業に伴う町名地番整理により伊勢原町などの新たな地名となっている。 地内は川越越生線沿道や川越西文化会館周辺が市街化区域で、第一種住居地域や第一種低層住居専用地域に指定された住宅地である。それを除く地区の殆どが市街化調整区域[5]に指定されている。 川越坂戸毛呂山線の周辺や、青林寺の周辺までは台地で[6]、市街化調整区域でありながら戸建ての住宅が多いが、それより北側の平坦な氾濫平野[6]の中は、耕地整理(圃場整備)された水田地帯で、住宅は見られなくなる。入間川の左岸堤防周辺に自然堤防があり[6]、そこに集落が見られる。
河川
地価
住宅地の地価は、1999年(平成11年)7月1日の都道府県地価調査によれば、大字鯨井字西原1543番地3の地点で17万5,000円/m2となっている[7]。近年は当地における地価の公表はない。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国高麗郡に属する鯨井村であった[8]。古くは三芳野郷のうちに。さらに古くは戦国期より見出せる鯨井と云う[8]。鯨井は久志羅井とも記された[8]。地名は当地を開発した久次郎か居住していたことに因み、久次郎居(くじらい)村と称していたが、その後いつの間にか鯨井に変化したと云われる[8]。村高は『武蔵田園簿』によると1100石余(田791石余、畑308石余)、『元禄郷帳』によると1101石余、『天保郷帳』によると1186石余であった[8]。検地は1699年(元禄12年)に実施。 村の北西部に幕府領の持添新田があり、検地は1744年(延享元年)に実施された[8]。 化政期の戸数は115軒で、村の規模は東西28町余、南北17町余であった[8]。鶏卵、繭、米、大麦、桑や木綿縞麺粉清酒などを産出していた[8]。 村内を越生から川越・江戸に通じる往還が通り、入間川の渡河地点に渡し場が設けられていた[8]。
- はじめは川越藩領と鯨井藩領(戸田一西も参照)、および旗本3氏(前田氏・落合氏・蜂谷氏)の相給[8]。
- 1635年(寛永12年)に旗本領の一部が川越藩領となる。正保年間のころに鯨井藩領分は旗本浅井氏の知行となる[8]。
- 1694年(元禄7年)に全村が川越藩領となる[8]。
- 幕末の時点では高麗郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、前橋藩領および代官松村忠四郎支配所が管轄する幕府領であった[9]。
- 1868年(慶応4年)6月20日 - 旧幕府領が武蔵知県事・松村長為(忠四郎)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)
- 1873年(明治6年)
- 1874年(明治7年)12月 - 鯨井村ほか下広谷村、吉田村、平塚村、小堤村に名細北小学校(現、川越市立名細小学校)を設置、合併して一校となる1886年(明治19年)3月まで設かれる。鯨井村では長福寺を仮用して設立した。生徒数41人[8]。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した高麗郡に属す。郡役所は川越町に設置(入間郡役所を入間郡と共同で使用)。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、鯨井村が 、下広谷村、上戸村、小堤村、下小坂村、平塚村、平塚新田、吉田村、天沼新田と合併して名細村となり、名細村の大字鯨井となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により高麗郡が入間郡に編入、入間郡名細村の大字となる。
- 1947年(昭和22年) - 地内に名細郵便局が開局する[8]。
- 1952年(昭和27年) - 大字鯨井の一部が分離され、入間郡鶴ヶ島村(現、鶴ヶ島市)に編入する[8]。
- 1953年(昭和28年)8月18日 - 大字鯨井の一部が分離され、新たに成立した大字鯨井新田の一部となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 名細村が川越市に編入され、川越市の大字となる。
- 1961年(昭和36年) - 地内に東洋大学川越キャンパスが設置される。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 町名地番整理事業を実施。大字鯨井の一部より的場新町が成立[11][12]。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 霞ヶ関土地区画整理事業により町名地番整理を実施[13][14]。大字鯨井の一部が分離され、新たに成立した伊勢原町一丁目〜五丁目の一部となる。また、大字鯨井の一部が分離され、的場新町に編入される。
存在していた小字
- 後[15]
- 表
- 有泉
- 前通
- 西原
- 荒田
- 烏田
- 境堀
- 曲田
- 猫田
- 寺田
- 花見堂
- 浅間下
- 田中
- 清水田
- 砂田
- 下犬竹
- 犬竹
- 前川原
- 女堀原
- 笠原
- 新田後
- 中野台
- 溜池
世帯数と人口
小・中学校の学区
交通
飛地の南端部を東武鉄道東上本線が通るが、鉄道駅は設置されていない。 最寄り駅は同線霞ヶ関駅で、大字大字鯨井字西原1543番地3の地点よりおよそ700 m[7]離れている。
道路
- 埼玉県道39号川越坂戸毛呂山線
- 埼玉県道114号川越越生線
- 埼玉県道256号片柳川越線 - 北部でかすめる。
- 埼玉県道260号鯨井狭山線
バス
若02系統・東坂02系統(若葉駅 - 東坂戸団地 - 川越駅線)の路線バスが運行され、「平塚橋西詰」、「なぐわし公園(ぴこあ)」(若02系統、土休日のみ)バス停留所が設置されている[17]。
- 市内循環バス「川越シャトル」(運行:東武バスウエスト)
地域
寺社・史跡
青林寺 長福寺 春日神社
公園
- なぐわし公園PiKOA - 避難場所
- 鯨井第1児童遊園
- 鯨井第2児童遊園
- 鯨井後公園
- 鯨井菅ノ谷公園
- 西原公園
- 雁見緑地
施設
- 川越市資源化センター - 清掃工場
- 川越市立鯨井中学校 - 避難場所
- 川越地区消防局川越西消防署名細分署
- 音羽の森第二保育園
- 川越市立名細保育園
- 川越西文化会館(メルト)
- 鯨井自治会館
- JAいるま野名細支店
- 東洋大学川越キャンパス - 敷地の大半が大字鯨井の飛地に位置するが、大字天沼新田や大字小堤や大字吉田の区域と跨っている。
- 東京国際大学グラウンド
- ココス英語幼児園川越キャンパス - 認可外保育園