鳴子火山群
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| 鳴子火山群 | |
|---|---|
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鳴子火山群および鳴子カルデラ | |
| 標高 | 尾ヶ岳: 470.3 m |
| 所在地 |
宮城県大崎市 |
| 位置 | 北緯38度43分44秒 東経140度44分03秒 / 北緯38.72889度 東経140.73417度座標: 北緯38度43分44秒 東経140度44分03秒 / 北緯38.72889度 東経140.73417度 |
| 種類 | カルデラ、溶岩ドーム |
| 最新噴火 | 837年(潟沼付近) |
| 鳴子火山の位置 | |
火山活動
現在も潟沼の内外や、その西側の鳥谷ヶ森の壁では盛んな噴気活動が見られる。
火山体の基盤は砂礫層で、胡桃ヶ岳-松ヶ峰間の標高340mまで砂礫層が露出する。鳴子火山噴出物の一部は、鳴子湖成層に凝灰岩として挟まれ、一部は明らかに湖成層上に堆積し、湖盆から火山活動が始まったことを示している[2]。
鳴子火山のうち、鳥谷ヶ森は溶岩直下の砂礫層中の樹幹の年代測定により、約11,800年前頃から開始したと推定される。また、山麓部では腐植土中に鳴子火山起源の火山灰が分布しており、その噴出年代は約5,400年前以降と推定される[3]。溶岩ドーム形成後の地熱活動により、2,000〜3,000年前に水蒸気爆発が発生している[4]。尾ヶ岳・胡桃ヶ岳の円頂丘が形成された後、松ヶ峰・鳥谷ヶ森の盾状火山が形成されたと考えられる[2]。これらの溶岩ドーム群のほか、周辺には溶岩流、10個以上の爆裂火口などもみられ、小規模ながらも火山としてのさまざまな地形、地質現象に富む。
過去の火山活動の様子は3つに大別される[5]。
- カルデラ形成期:大規模な火砕流を伴う2度の噴火活動で、7.3万年前の荷坂凝灰岩及び、4.5万年前の柳沢凝灰岩を噴出した[6][7]。
- 後カルデラ期:溶岩ドーム(胡桃ヶ岳、尾ヶ岳、鳥谷ヶ森、松ヶ峰)の形成[4][8]、2万1千年前の鳴子潟沼-上原テフラを噴出[4]、3,000年前の水蒸気爆発による火山灰降下[3]。
有史以降
837年(承和4年):『続日本後紀』に噴火活動に伴う温泉流出の記述があり[9]、降下火山灰層から水蒸気爆発と見られる[1]。
人間との関わりの歴史
古代
正史には玉造の温泉石神、温泉神の2柱が登場する。837年に温泉石神の噴火を伝え、6年後の843年に温泉神が神階の陞叙を受けている。噴火の記録には「鎮謝災異、教誘夷狄」の記述があり、大和朝廷による蝦夷征服との関連がうかがえる。
- 837年(承和4年)4月:『続日本後紀』に「玉造塞温泉石神、雷響振動、昼夜不止、温泉流河、其色如漿、加以山焼谷塞、石崩木折、更作新沼、沸声如雷、如此奇恠不可勝計、仍仰国司、鎮謝災異、教誘夷狄」の記述がある[9]。
- 843年(承和10年)9月:無位の温泉神に従五位下の神階が贈られる[10]。
- 927年(延長5年):『延喜式』に「温泉石(ゆのいしの)神社」「温泉(ゆの)神社」の2柱が記載される。
近世
仙台藩が安永年間にまとめた『風土記御用書出』には、大口村分に嶽山として「大くわ山(尾ヶ岳)」「くるミ嶽(胡桃ヶ岳)」の表記が、鳴子村分に御林として「鳥屋ヶ森御林(鳥谷ヶ森)」の表記がある[11]。鳴子村は岩出山伊達氏の知行地だが、御林は仙台藩が直接管理し保護していた[12]。
近代・現代
1902年時点で噴気孔での硫黄の採掘が行なわれていた[13]。太平洋戦争がはじまると潟沼の北岸に硫黄製錬所ができた[14]。上野々スキー場と合わせ、鳴子火山群の外輪山を巡るルートがスキーツアーコースとして知られた[15][16]。
