鶴見川橋
From Wikipedia, the free encyclopedia
鶴見川橋は大正末期までは「鶴見橋」と呼ばれており、初代の橋は徳川家康が東海道を整備した1601年(慶長6年)頃に架けられたと考えられている。また、当初は「釣海橋」と呼ばれていたが、川から見える鶴の群れを見た家康が「めでたいことなので、これからは『鶴見橋』と呼ぶように」と言ったことから橋名が改められた言い伝えもある。当時は多摩川に橋はなく、江戸を発った旅人が東海道で最初に渡る橋であった[1]。鶴見川は川幅が狭く流路が湾曲しており、幾度も氾濫を繰り返す暴れ川であった。『鶴見川災害予防組合史』の記録に残る1696年(元禄9年)以降明治までの間に、1696年、1707年(宝永4年)、1733年(享保18年)、1768年(明和5年)、1792年(寛永4年)から1802年(享和2年)の間(詳細年次不詳)、1826年(文政9年)の6回に渡り架け替えられている[2]。19世紀前半に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、長さ25間(約45.5メートル)、幅3間(約5.5メートル)であったとされている[1] [3]。 1860年代には、攘夷派の浪人を取り締まるため神奈川奉行により東海道沿いに番所が設けられた。現地案内板によると1860年(万延元年)となっているが[2]、1862年(文久2年)の生麦事件以降とする説もある[4]。本橋右岸にもその一つが置かれ、現在は碑が残る。
大正末期には、下流側に整備された京浜国道(現在の国道15号、第一京浜国道)に鶴見橋の名を譲り、鶴見川橋に改称された[2]。1953年(昭和28年)には長さ112メートル・幅8メートルの鋼製の桁橋に架け替えられた[1]。この橋は、1991年度(平成3年度)にかながわの橋100選の一つに選定されたが[5]、河川改修に合わせて架け替えられることとなった。
