永歳橋
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設計・施工
景観・意匠
諸元
歴史
橋名の継承元となる旧永歳橋は、中川川と玄倉川の合流点下流、世附川との合流点上流の落合地区にあり、地元では落合橋とも呼ばれた。中川方面や世附方面へ向かう交通の要地であったが、水害のたびに流失と架け替えを繰り返した[3]。
『丹沢湖』 (1978)によれば、旧橋は1882年(明治15年)10月、長さ24間(約43.5 m)、幅8尺(約2.4 m)の木製吊橋として完成した。1900年(明治33年)には工費2,600円を投じて鉄橋に架け替えられたが、翌年の大水害で流失した。1918年(大正7年)に木橋として復旧したのちも水害や震災で失われ、1930年(昭和5年)に長さ43.2 m、幅4 mの鉄製吊橋となった[3]。
この昭和5年の橋は、地元住民だけでなく、中川温泉の来訪者や西丹沢の登山者にも親しまれ、三保地区を象徴する橋であったという。しかし老朽化のため1972年(昭和47年)3月に鉄橋へ架け替えられた直後、同年昭和47年7月豪雨で再び流失し、「裏目になった近代橋」と騒がれた[3]。翌1973年(昭和48年)3月に同地点で再建されたが、三保ダム建設に伴ってのちに丹沢湖の湖底に沈んだ[3]。
