司忍
日本のヤクザ、第6代山口組組長(1942-)
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来歴
生い立ち
1942年(昭和17年)、大分県大分市生まれ。大分県立水産高等学校(現・大分県立海洋科学高等学校)を卒業後、地元の大手水産会社に就職。その後、大阪を経て名古屋に出て、1962年(昭和37年)に三代目山口組鈴木組に入った。
弘田組時代
1964年(昭和39年)から始まった第一次頂上作戦で警察による取締りが強化され、1966年(昭和41年)に鈴木組(鈴木光義組長[10])は解散し[10]、鈴木組若頭を務めていた弘田武志は弘田組を結成して鈴木組の縄張りなどを引き継いだ[10][11]。その際、司忍は、弘田組若頭に抜擢され[10]、司興業を設立した[11]。中京地区の抗争では武闘派として活動し、弘田組最高幹部を務めることとなる。
昭和40年代頃には、愛知県下に山口組系以外にも多くの暴力団組織があり、弘田組は三代目山口組の直参組織ではあったが一地方組織にすぎず、他組織と衝突を繰り返しながら地盤を築いていった。弘田組で副組長や若頭を歴任し抗争でも陣頭指揮を執っていたのが司忍であった。1969年(昭和44年)に起きた抗争で司忍は首謀者とされ懲役13年判決を受けた[12]。
1981年(昭和56年)7月23日、三代目山口組組長・田岡一雄が死去する。弘田組組長・弘田武志は、田岡の後継者とされる山本健一と関係が近く、山本健一が四代目を継承すれば山口組に残るはずだったが、山本健一も1982年(昭和57年)2月4日に病死。1984年(昭和59年)に四代目組長の座を巡り竹中正久と山本広が対立し、弘田組長は山本広支持を表明したものの、司忍は「山口組に尽くすべき」と弘田組長を懸命に説得し、ついに弘田組長は一和会にも四代目山口組にも加わらず引退を決意した。後日、自身の引退報告と、司忍に杯を下ろすよう竹中四代目に申し出、それを竹中四代目は了承した。
弘道会時代
竹中正久を首領に据える四代目山口組が発足した1984年(昭和59年)6月、弘田の引退に際し弘田組の構成員らを伴い弘道会を結成、山口組直参に昇格した。元親分の弘田の一字と、その道を行く「道」の字から「弘道会」と命名したとされる。1989年(平成元年)5月、渡辺五代目体制の発足に伴い若頭補佐に就任し、ブロック制が導入されてからは中部ブロック長を兼任した。
1997年(平成9年)8月28日の宅見若頭射殺事件を受け、警察では「新頂上作戦」を開始し、同年11月に司忍を護衛の配下組員に拳銃を持たせていたとする銃刀法違反容疑で指名手配した。翌年6月に司忍は逮捕・起訴され、1999年(平成11年)7月、10億円の保釈金で保釈された。
2001年(平成13年)3月に大阪地方裁判所で無罪判決を受けたものの、2004年(平成16年)2月24日、大阪高等裁判所で懲役6年の逆転有罪判決を受け、上告。高裁判決後、再度、収監されたが、10億円の保釈金で即日保釈された。
山口組六代目組長就任
2005年(平成17年)3月、弘道会の跡目を同会若頭・髙山清司に譲って二代目弘道会総裁に就任し、同時に弘田組組長をも名乗る。同年5月、五代目山口組若頭に就任し、7月に六代目山口組組長に就任した。同年8月27日[13]、六代目継承式、兄舎弟盃、親子盃が行われた。
山口組六代目を継承すると、確実視された銃刀法違反裁判における実刑判決を念頭に、最高幹部人事にあたる「幹部」職創設、倉本組と小西一家の名跡復活、國粹会を傘下に収める形での東京進出、五代目会津小鉄会図越利次会長との代紋違いの兄舎弟盃に代表される親戚団体との関係強化を数か月のうちに行った。
府中刑務所への収監
そして、2005年(平成17年)11月29日付けで上告が棄却され、ボディーガードの組員に拳銃と実弾を所持させたとして銃刀法違反(共同所持)罪で[14]、懲役6年の実刑判決が確定。同年12月5日に出頭し大阪拘置所に収監され、2006年(平成18年)2月に府中刑務所に移監された。山口組組長が在任中に服役するのは山口組史上初となった[15]。
司忍の呼称番号は「5100」であったため、「後藤組みたいだな」などと言われた。府中刑務所の受刑者数は増加の一途で、定員3200人のところ、入りきらないため独居房を2人で使っていたが、司忍の独居房は舎房2階一番奥にあり特別扱いを受けていた。面会の時も担当の刑務官の他に、部長クラスの幹部が必ず付き添い、廊下で他の懲役囚とすれ違う際には、相手に右を向かせ停止させ、目を合わせることすら禁止されていた。
なお、配属先は暴力団員だけが配属される工場である「侍工場」ではなく、要養護の高齢者が働く軽作業の現場であった。他の受刑者には司忍の顔を知らない者も多くいたため、そうとは知らずに「あんた、どっから来たの?」などと普通に話しかける者がいた。運動時間には30分間走るのを日課としていた。また、司忍は囲碁が好きで、刑務所でもよく受刑者と碁を打っていた。刑務所では模範囚である一級(当時は累進処遇制度により受刑者を級分けし、累が上がるほど仮釈放を受けやすくなった)になり、仮釈放になる仮面接にかかったが一年近くもらえる仮釈放を辞退して満期で出所している[16]。
2009年(平成21年)11月、かつての親分だった弘田武志が死去。獄中の司忍に代わって髙山が名古屋での葬儀を取り仕切り、六代目山口組の全直参及び友好関係にある全国の有力組織の最高幹部が参列するなど、組葬に準ずる扱いであった[17]。
出所後
2011年(平成23年)4月9日午前5時50分[18]、未決勾留8か月・服役期間5年4か月で刑期満了となり府中刑務所を出所した[19][20][21]。同年9月に山口組総本部(神戸市灘区)で新聞社のインタビューに応え、暴力団排除条例について「異様な時代がきた」とするとともに警察当局を批判している[22]。
2012年(平成24年)の元旦未明、山口組総本部近くの兵庫縣神戸護國神社に、幹部組員らと共に参拝したことが報じられた[23]。また、2016年(平成28年)の元旦にも初詣で神戸護国神社を参拝した[24]。
2016年(平成28年)9月、稲川会清田次郎会長の呼びかけで、六代目山口組司忍組長、稲川会清田次郎会長、住吉会関功会長が横浜中華街に集い、ビッグ3会談が行われた[25]。
2021年(令和3年)5月20日、六代目山口組系組員による「オレオレ詐欺」などの特殊詐欺で被害を受けた80代の男女3人が、六代目山口組司忍組長らに対し、被害金額など計約2600万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した[26]。原告側によると、暴力団対策法に基づき暴力団トップの代表者責任を問う訴訟で、山口組組長を訴えたのは初めて[26]。2008年(平成20年)に改正された暴力団対策法は、組員が組の威力を利用して資金を獲得した場合、組の代表者も賠償責任を負うと規定する[26]。原告側はこの規定をふまえて組長を提訴した。さらに、「受け子」や「出し子」を管理していた六代目山口組系組員(詐欺罪で実刑判決確定済み)も被告に加えた[26]。2024年6月14日付で、計約2660万円の損害賠償を求めた訴訟で、司忍六代目組長側が遅延損害金を加え計約3200万円を支払うことで、東京高等裁判所で和解が成立[27]。特殊詐欺を巡り、暴力団対策法に基づく山口組トップへの賠償が命じられたのは初めて[27]。
2022年(令和4年)5月20日、兵庫県公安委員会は、司忍六代目(80)と四代目倉本組津田智加良組長(63)の2人に対し、2017年に同県稲美町で発砲事件を起こしたとして服役中の同組系組員に、出所祝いや功労金などの報償を与えることを禁じる「称揚等禁止命令」を出した[28]。命令の効力は出所から5年後までで、組員の服役期間は2025年までの予定。組員に現金を提供するほか、組織内の地位を上げることも禁じられ、違反すれば3年以下の懲役か250万円以下の罰金、または両方が科される[28]。
2023年(令和5年)6月13日、名古屋高等裁判所で、六代目山口組傘下組織幹部からみかじめ料を支払わされたとして、愛知県内の男性が六代目山口組司忍組長と幹部に約1000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論があった[29]。原告男性側が控訴していた[29]。 2022年9月の一審・名古屋地方裁判所判決は、貸付金や後援会費などの名目で支払った600万円について違法性を認め、慰謝料などを含む47万円の賠償を組長側に命じたが、大半は時効(3年)を理由に請求を退けた[29]。組事務所の開設名目の180万円についても、「(原告男性を)畏怖させたとは認められない」と違法性を認めなかった[29]。同年9月12日、名古屋高等裁判所で、控訴審第2回口頭弁論があり、双方が最終の準備書面を提出して結審した[30]。同年12月14日、名古屋高等裁判所(松村徹裁判長)は、約1070万円の損害賠償を求めた控訴審判決で、時効が成立していない一部の請求のみを認めて47万円の支払いを命じた一審・名古屋地方裁判所判決を変更し、賠償額を751万円に増額した[31]。民法では、損害と加害者を認識できた時点から3年を超えると損害賠償請求権が認められない「消滅時効」を規定しているが、判決は「暴力団から脅かされている状態で合理的な対応ができる心理状態ではなく、時効は成立しない」と認定した[31]。弁護団によると、暴力団からの金銭要求を巡る損害賠償請求権の時効不成立を認める判決は全国初という[31]。
2024年(令和6年)8月、神戸水上警察署は、司忍を名乗り、取引先であった企業の社長らをメールなどで脅したとして、脅迫容疑で、三菱UFJ銀行の大阪府内の支店の副支店長を逮捕した[32]。副支店長は11月上旬に神戸地方検察庁に強要未遂罪で起訴された[32]。12月25日に神戸地方裁判所で初公判を迎える予定[32]。三菱UFJ銀行はこの事件について公表していなかったが、週刊文春の取材で事実関係を認めた[32]。
2025年(令和7年)4月15日、六代目山口組系組員から現金をだまし取られたとして、福岡県内の被害者5人が、六代目山口組司忍組長(83)やナンバー2の高山清司若頭(77)ら4人を相手に被害金や慰謝料など計約2250万円の損害賠償を求める訴訟を、福岡地方裁判所に起こした[33]。 福岡県警などによると、六代目山口組傘下組員は、原告の5人から計約1800万円をだまし取った詐欺罪で有罪判決を受け、確定している[33]。訴状では、司忍六代目組長らは暴力団対策法の代表者責任を負う、などと主張している[33]。原告側弁護団によると、この提訴は、弁護士による事前調査の費用や公判記録の謄写代などを県警が負担する制度を利用[33]。2023年6月に導入された制度で、1件当たり50万円を目安に福岡県警が負担する仕組みで、暴力団が組織的に関与して有罪が確定した事件などが対象である[33]。この制度を活用して提訴したケースは、2024年10月の特定危険指定暴力団・工藤会(北九州市)トップの野村悟会長(78)(二審無期懲役、上告中)らを相手取った訴訟に続いて2例目となった[33]。
2025年(令和7年)6月、司興業は川崎誠治若頭が四代目を継承し総裁制を導入、森健司三代目は総裁に就任し[34][35]、総裁と四代目の2名が、六代目山口組直参である。
2025年(令和7年)12月13日、7年ぶりに山口組事始め式を行った[36]。儀式の終了後は、四代目弘道会野内正博会長が会津小鉄八代目高山誠賢を迎え入れて祝宴となり、カラオケ大会のトリを司忍六代目が務め「夜霧よ今夜も有難う」「ダンシング・オールナイト」の2曲を歌唱し美声を響かせたと伝えられた[36]。現場にいた警察関係者は「相変わらずうまいな」とつぶやいたという[37]。
2026年(令和8年)6月8日、兵庫県公安委員会は司忍組長(84)ら3人に、2023年12月に対立する神戸山口組傘下組長宅(埼玉県八潮市)に車を衝突させ、門扉などを損壊したとして逮捕、器物損壊罪で有罪判決を受けて服役中の組員に対し出所祝いや功労金などを与えることを禁ずる「称揚等禁止命令」を出した[38]。命令の効力は出所から5年間で、組織内での昇格も禁じる[38]。
2026年(令和8年)6月12日、特殊詐欺被害者4人が司忍組長ら3人に計約6200万円の損害賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こした第1回口頭弁論があり、被告側は請求棄却を求めた[39]。原告側は、訴状で、暴力団対策法31条の2の規定[40]は、指定暴力団の代表者について、組員が資金獲得のため威力をもって他人の財産を侵害した場合の賠償責任を定めており、組員が詐欺ほう助罪で有罪が確定したことを踏まえ、司忍組長に特殊詐欺被害の賠償責任があると主張しており、「組員は司忍組長らの直接、間接の指揮下にあった」とし、民法上の使用者責任もあると訴えている[39]。被害の発端は2022年(令和4年)10~12月にかかってきた電話で、大阪府警は詐欺グループにIP電話回線を提供していた電気通信事業者を特定、実質経営者として、弘道会の下部組織となる六代目山口組三次団体幹部(49)を逮捕した[40]。幹部(49)は2025年12月、大阪地裁で詐欺幇助などの罪で懲役2年6月の実刑判決を受け、確定し、服役中である[40]。
2026年(令和8年)6月24日、愛知県警察は、司忍の出身団体「司興業」四代目総裁(76)らを、四代目総裁(76)の飼い犬「ピットブル」(雌3歳[41]、体長約60センチ[42]、体重約22・5キロ[42])の管理を怠り通行人に重傷を負わせたとして、重過失傷害と動物愛護法違反容疑で逮捕した[43]。同年5月9日午前6時半ごろ[41]、名古屋市中区の公園で通行中の女性(23)に四代目司興業総裁(76)は「触ってあげて」「おとなしいから大丈夫」などと言い[44]、ピットブルは頭を撫でた[41]女性の鼻や唇に噛きつき[44]、唇がちぎれるなど[42]全治1カ月の重傷を負わせ[43]、同年4月11日夕、名古屋市中区の路上で[45]「子どもに犬(ピットブル)を触らせてもいいか」と声をかけてきた女性に四代目司興業総裁(76)は「絶対かまないよ」と応じ[41]、ピットブルは撫でた[41]男児(2)の顔に噛みつき全治10日の怪我をさせた[43]という。四代目司興業総裁は、三代目司興業組長だった2025年5月20日に、同年4月28日午前5時25分~午前6時頃、名古屋市中区の路上や公園で、飼い犬「ピットブル」をリードを外して散歩させた疑いで、愛知県警に名古屋市動物愛護条例違反(犬の飼い主の義務)容疑で逮捕されたことがある[46]。2026年7月14日、名古屋地検は、ピットブルを通行人に噛きつかせて怪我を負わせたとして、四代目司興業総裁(76)を重過失傷害の罪で起訴した[45]。また、同日付で名古屋地検は、四代目司興業総裁(76)の、4月の男児(2)に約10日の怪我を負わせた疑いなどで送検されていた過失傷害容疑と、2件の事故を保健所に届け出なかったとされる名古屋市動物愛護条例違反容疑について、不起訴とした[45]。
法規命令
関連書籍
- 週刊アサヒ芸能編集部 編集『出所目前!山口組・司忍六代目の「武闘全記録」!』(2011年3月、徳間書店)
- 「実話ドキュメント」編集部特別取材班 編集『六代目山口組司忍組長』(2011年4月、ジェイズ・恵文社)
- 『六代目山口組10年史 (メディアックスMOOK)』(2015年5月、メディアックス)「写真で見る山口組100周年式典」収録。
劇画
- 画・鴨林源史『実録・王道ヤクザ伝 山口組六代目 司忍』(2007年5月、竹書房バンブー・コミックス)原作・芹沢耕二
- 作画・ニツ木哲郎『実録・王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目 司忍』 (2008年、竹書房バンブー・コミックス)脚本・東史郎
- 『実録・王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目 司忍 飛翔編』(2008年5月1日)
- 『実録・王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目 司忍 六代目襲名編』(2008年9月16日)
- 作画・欧森夏『輝ける山口組の頭領 司忍六代目組長の戦い 秋霜烈日記』(2010年5月、メディアックス MDコミックス)原作・月檸一閃 監修・大道智史
- 作画・鴨林源治『山口組六代目 司忍 王国への原点回帰』 (2010年6月 竹書房劇画文庫)原作・芹沢耕二
- 作画・池田鷹一『山口組歴代組長列伝 山口春吉から田岡一雄を経て司忍まで』 (2010年7月、メディアックス MDコミックス) 脚本・岩田元喜 監修・大道智史
- 作画・鴨林源史『山口組六代目襲名 司忍』 (2015年9月1日 笠倉出版社カルト・コミックス) 脚本・東史朗
- 作画・鴨林源史『六代目山口組秘史 司忍と弘道会』 (2015年12月1日 笠倉出版社カルトコミックス)脚本・東史朗