今田耕司

日本のお笑いタレント、司会者 From Wikipedia, the free encyclopedia

今田 耕司(いまだ こうじ、1966年昭和41年〉3月13日 - )は、日本お笑いタレント司会者。愛称は、今ちゃん

本名 今田 耕司
ニックネーム 今ちゃん
別名義 KOJI1200
生年月日 (1966-03-13) 1966年3月13日(60歳)
概要 今田(いまだ) 耕司(こうじ), 本名 ...
今田いまだ 耕司こうじ
本名 今田 耕司
ニックネーム 今ちゃん
別名義 KOJI1200
生年月日 (1966-03-13) 1966年3月13日(60歳)
出身地 大阪府大阪市天王寺区
血液型 A型
身長 174 cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 清風高等学校定時制課程普通科
出身 NSC大阪校4期
コンビ名 ダブルホルモンズ(解散)
芸風 漫談コント
事務所 吉本興業
活動時期 1986年 -
同期 130R
桂茶がま
長谷川宏ティーアップ
月亭かなめなど
数ヶ月後輩
東野幸治
リットン調査団
木村祐一
現在の代表番組 開運!なんでも鑑定団
ファミリーヒストリー
アナザースカイ
過去の代表番組 着信御礼!ケータイ大喜利
今ちゃんの「実は…」
炎の体育会TV
他の活動 司会者俳優
配偶者 なし (未婚)
公式サイト 公式プロフィール
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活動期間 2020年4月25日 -
ジャンル コメディ、ゲーム実況、料理
登録者数 約18.2万人
概要 今田耕司, YouTube ...
今田耕司
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年4月25日 -
ジャンル コメディ、ゲーム実況、料理
登録者数 約18.2万人
総再生回数 約2,704万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年10月28日時点。
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大阪府大阪市天王寺区出身。吉本興業所属。NSC大阪校4期生。

略歴

NSC入学まで

実家は大阪市天王寺区生玉の道善寺という本門法華宗の寺で、実父は会社員住職を兼業していた。

3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいる。血液型に関しては公式プロフィールには長年O型と表記されており、後にA型だったことがカミングアウトされてからも当面はO型で通していた。

子供の頃は西川のりおの大ファンだった。

中学3年時、友人と3人で独立していこうと決心して家出するも、数日で連れ戻されて自宅謹慎になる。

1981年、担任からの勧めで当時は全寮制だった日生学園第一高等学校(現在の桜丘高等学校)に入学[注 1]。朝4時半に起床して水をかぶることが決まりであり、脱走者が出たら帰ってくるまで正座で待つか、懐中電灯を持って付近の山狩りを行わされたという[1]。1年生の秋には「『プリズン・ブレイク』のような感じ」で学校から脱走した。その際は山を2つ越えて脱走に成功したものの、退学手続きのため保護者同伴で学校に戻ったところ、担任から「学校を続けると言うまで殴る」と親の眼前で体罰を受けて失敗した。しかし結局1年生の冬休みに帰省した際、学校には戻らず自主退学した[2]

その後、清風高等学校定時制課程普通科に編入。昼の時間帯は日本一若い店長になることを目標に、ラーメン屋で働いていた。このため野菜の千切りが非常に得意である。夏休みは友人数人と母方の実家である宮崎県児湯郡高鍋町に滞在、小丸新茶屋(うどん店)でアルバイトしながらサーフィンに没頭していた。

定時制高校の卒業後は、「手に職をつけたい」と思い寿司職人か美容師専門学校の入学を検討した。しかし学費が高い上に肌が弱かったため、医者から「水を扱う職業には向いていない」と忠告されたこともあって断念。

NSC時代

途方に暮れていた時、当時入学料が5万円程度だった吉本総合芸能学院(以下、NSC)に目が留まり、「昔からお笑いも好きやし」と軽い考えで1985年、4期生としてNSCへ入学した。同期ではNSCにて130Rほんこん板尾創路)、桂茶がまがいて、吉本以外ではウッチャンナンチャンダチョウ倶楽部出川哲朗など。 ダウンタウンの存在はNSCに入学するまで知らなかった。日生学園の先輩でもある浜田雅功を「当時、1年目、2年目の自分から見た浜田さんは、すごすぎた。松本さんは芸としての天才で、浜田さんは司会者としてすごかった。浜田さんのノビノビと、わーって叩いて笑ってって、そういうのすごい憧れでした」と語り、松本人志のことは「芸はもちろんですけど、松本人志さんのお笑いをつくる姿勢がカッコ良くて、すごく影響受けましたよ」と語っている。

吉田ヒロとはNSCではヒロが2年先輩ではあるものの(ただし芸能活動は今田の方が先輩)、今田からは「ヒロ」と呼び捨てにされており、タメ口で会話されている(年齢は今田の方が2学年上)。その反面ヒロは今田のことを呼び捨てにせず「今ちゃん」と呼び、年下の同期であるかのような接し方をしている。

程なくして、ほんこんとコンビ「ダブルホルモンズ」を結成。ほんこんは「骨付きカルビ」という芸名でボケ、今田は「上ロース」という芸名でツッコミを担当。ネタはほんこんが作り、節水をテーマにした漫才などを披露していた。

NSCは実家から2駅離れた場所にあったため、当時今田はNSCには実家から通っていた。家に帰れば食事も寝る所もあり、さらに夜はアルバイトをしていたため金もそこそこあった。そのため今田は当時を振り返り、「良いこと尽くめの下積み時代だった」と語っている。

1986年、ダブルホルモンズを解散(毎回ネタ合わせに今田が来ずほんこんが激怒したのが原因と言われている)、ピン芸人として活動を始める。ちょうど当時、2丁目劇場ができるタイミングで前座のオーディションがあり、ピンになって初めて書いた「才能のない構成作家のオーディション」というネタで合格した。ダウンタウンとはこの頃に出会い、「おもろいな」と爆笑してもらったのが最初に交わした言葉である。

デビュー後

1986年、京都花月12月中席(12月11日 - 12月20日)にて劇場デビューする。この時に東野幸治と知り合い、意気投合。『4時ですよーだ』などで2人でコントを披露して以降、多くの番組で東野と共に司会を務めた。

1987年4月、『4時ですよーだ』放送開始。1989年秋、『4時ですよーだ』終了後は東野らと共に吉本新喜劇の補強メンバーとして活動。時には座長としても舞台をこなした。

1991年4月、『正解るんです』(CBCテレビ制作)に東野幸治と共に出演、ローカル深夜番組にもかかわらず熱狂的ファンを集めた。以降東野幸治と共に、長らく名古屋のCBCテレビで深夜のレギュラー番組を持っていたが、2020年3月末の『本能Z』の終了で一旦打ち切られることとなった。

1991年秋、『ダウンタウンのごっつええ感じ』レギュラー放送開始に伴い新喜劇を卒業し東京進出。以来ダウンタウンの番組出演のほか、Wコウジとして司会などで活躍した。

1995年、『今田耕司のシブヤ系うらりんご』で初めての冠番組を持つ。『いつかまた逢える』に出演で初めてのキスシーンを大塚寧々西田尚美らと演じた。

2004年、島田紳助謹慎騒動に伴い、幾つかの番組は紳助の代役として今田に白羽の矢を立てた。それらの番組で今田は予想以上の働きぶりを見せ、特に『開運!なんでも鑑定団』での代理司会ではテレビ東京の当時の社長である菅谷定彦から絶賛されるなど、彼のタレントとしての能力の高さを世間に再認識させた[3]。今田自身は『しゃべくり007』出演時、お笑いの道を志す際の憧れだった人物として、紳助の名前を挙げている。

2007年、不定期の特番として放送されていた『今田ハウジング』(日本テレビ)が、3月7日から水曜19:58 - 20:54の時間帯にて1年間、レギュラー放送された。自身初のゴールデンでの冠番組となった。

2008年以降、『今ちゃんの「実は…」』(朝日放送)で司会を務める。番組内の新たな言葉を生み出し番組内のウィキペディア辞書に登録するコーナー、そして本物のウィキペディアに書き込まれた人物の真相を確かめるミニコーナーがあった。

2008年4月28日発売の『週刊現代』に、今田が未成年の女性に飲酒を無理強いさせたうえで淫行に及んだという記事が掲載される。今田本人と所属事務所である吉本興業は「事実無根で名誉を棄損」として、講談社に対して損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めて名誉毀損などで提訴したが、講談社側が2009年10月26日発売の同誌に「記事の事実確認はできませんでした」とする謝罪広告を掲載し、11月6日付で今田宛の損害賠償金550万円と遅延損害金を支払ったため、同日付で訴訟を取り下げた。吉本は「謝罪広告の内容や賠償額などは必ずしも満足できるものではないが、気持ちを新たに仕事へ専念することを優先し、早期解決することにした」と今田の心境を代弁した[4][5]

2011年8月23日、事務所の先輩であった島田紳助が芸能界を電撃引退表明。冠番組の終了が相次ぐ中、冠になっていない『開運!なんでも鑑定団[6]と『人生が変わる1分間の深イイ話』の2番組の司会に抜擢され、TBSの春と秋の大型スペシャル番組である『オールスター感謝祭』に関しても引退直後の2011年秋の放送回でのリレー方式を経て2012年春の放送回から正式に2代目総合司会に就任[7]し紳助の後を引き継ぐなど、紳助の後任司会者として最も多くの番組を引き継ぐことになった。結果的に紳助引退以降も多数のレギュラー番組に出演しているほか、ルミネtheよしもとで新喜劇の座長も務めている。

人物

好きなもの

  • 筋肉エンタメ集団マッチョ29 - 推しメンは今井耕二、山崎徳義、菅原辰馬。
  • 動物 - 『森田一義アワー 笑っていいとも!』にて過去にペットを15匹飼っていたことを明かした。小学生時代は飼育小屋の鶏の卵を許可を得て自宅に持ち帰り、孵化させ鶏にまで育て上げた。
  • ブルース・リー - 自宅にはブルース・リーのフィギュアやポスターが部屋中のいたるところに整然と飾られており、自らが「ブルース・リーBAR」と呼ぶスペースまであった。
  • 芸能ゴシップ - 仲の良い東野と共に「吉本のゴシップ兄弟」を自称している。また、2人合わせてWコウジと呼ばれているが正式なコンビではない。
  • 漫画・アニメ - 自宅に漫画を読むための部屋を持ち、複数の漫画雑誌も購読している。またアニメ通でもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』のファン。
  • 格闘技 - 90年代後半からパンクラス、その後GRABAKAの一般会員として格闘スポーツジムに通っている。また格闘家のスポンサー的組織「今田道場」を主宰し元DEEPフェザー級王者の松本晃市郎を輩出した。
  • あまちゃん』 - 2013年上期のNHK連続テレビ小説[8]

交友関係

  • 岡村隆史ナインティナイン)は今田を兄さんとして慕っているだけでなく、又吉直樹ピース)と3人で独身男性芸人の親睦会「アローン会」を作り、親交を深めていた。ただし、岡村は2020年10月10日に一般人女性と結婚した。
  • 福山雅治とは1992年に自身のラジオ番組にゲストとして招待して以来の古い付き合いであり、福山のアルバム『SING A SONG』では今田が収録全曲のレビューを執筆した。時々アダルトビデオの交換をする仲でもある(文化放送Come on FUNKY Lips!』にてゲストの福山が事実を認める)。

その他

評価

  • 日経エンタテインメント!』(日経BP社)2009年2月号におけるインタビューにおいて、「(2008年の)今田の好調ぶりを支えるのは抜群のトーク力。とりわけ『生放送に強い』というのが業界内での認識だ」と評されている。これについて今田は「生放送は好き。もともと収録放送の番組でも生放送のつもりで向き合っている」と語っている。また自身のトーク力について「大阪でダウンタウンさんの生放送の番組(『4時ですよーだ』)に出してもらったり、デビューして1年目くらいから生放送にしか出ていなかったから鍛えられた」と自己分析している。
  • 『ごっつええ感じ』のコント、「MR.BATER」において松本から「そんなんやから週刊誌に『ダウンタウンの腰巾着』て書かれるんや」「二線級のタレント」などとからかわれたことがある。しかし実際のところ今田に対する松本の評価は「生涯で稼ぐ金額は今田の方が(松本自身より)上やないかなあ」「今田の方がこの先(自分より)メジャーになる」と言わしめるほど高いもので[3]、『放送室』でも「松本軍団の中で誰が一番優秀か」と問われた松本は「せやねぇ、うちは厳しいよ。でも今田かな」と答えている。
  • 週刊プレイボーイ』で連載中の「松本人志の怒り」の中で、トーク力を千原ジュニア千原兄弟)と共に認められており、松本は「(この2人は)食いっぱぐれる事は無い」と評価している。
  • 松本からそのような評価を受けている今田であるが、他のタレントとは異なり、自身が出演する番組においてむやみにギャラを引き上げないよう交渉しているとの話がある[9]。元々はたくさんの番組に出演したいという理由で抑えてきたものであったが、2008年後半以降放送業界に不況の波が押し寄せ、高額ギャラを受け取っている大物司会者などのリストラが始まっている今日において、この姿勢が今後有利に働いてくるのではないかとも見られている[10]
  • 2000年9月、フジテレビの『明石家マンション物語』代表として明石家さんまらと『めちゃイケ』内のコーナー「七人のしりとり侍」に出演したときは、さんまとの丁々発止のやりとりでレギュラー陣を圧倒し、「さんま兄さんはすごいが、それを光らせた若頭(今田)があってこそ」と感心させた[3]。また、ナインティナインからは「お笑いお化け」とも称される。
  • ガダルカナル・タカは今田をライバル視しており、やしきたかじんの番組で「芸能人の中で、この人には勝てないと思うのは誰?」という質問に今田を挙げている。また、今田が若手時代のころにタカが大阪の番組で共演し、「東京の番組には来てもらいたくないなあ」と今田の実力を高く評価していた。
  • 同期の板尾からは、「自分と真逆の人間で、居心地は凄くいい」「タレントとして、あいつにだけは勝たれへんと思ってる」「天性の明るさと面倒見の良さと場の空気を何とか面白くしようとする、どんなボケでも拾う、あの感じはオレにはできへん。凄いなと思いますよ」と高く評価されている。
  • オリコンによる「好きな司会者ランキング」では2009年は7位[11]、2010年は3位[12]
  • 1994年1月20日に放送されたバラエティー番組ダウンタウン汁では大竹まことに「今田が女性を“性の道具”としか見てない」と私生活を言及されていたが、2024年現在の今田は「コンパは予約数年待ちという高級店」、「女性には紳士的で金払いがいい」と好評価されているとされる[13][14]

その他

出演

テレビ

レギュラー番組

現在

過去

特番

現在

過去

CM

ドラマ

ネットドラマ

インターネット配信

ラジオ

舞台

  • ルミネtheよしもと新喜劇座長
  • 尋常人間ZERO(2008年)
  • 愛Pod(2009年)
  • 愛Pod 才能は努力では手に入らないのですか?(2010年)
  • NGワードライフ(2011年、2012年)
  • The Name(2013年)
  • AVM
  • 正偽の芸能プロダクション(2023年)

実写映画

  • 遺産相続(1990年)
  • ダウンタウン松本人志の流 頭頭(1993年)
  • ミナミの遊侠伝 なんぼのもんやねん(1994年) - 主演:裕二 役
  • バースデイプレゼント(1995年)
  • ぼくんち(2003年) - 安藤 役
  • 蟬しぐれ(2005年) - 島崎与之助 役
  • ラブ×ドック(2018年) - 男性患者 役(友情出演)[51]

アニメーション映画

著書

CD

  • 親父の唄〜ラスベガス・ヴァージョン(今田耕司・東野幸治名義、BMGファンハウス、1993年2月1日)
    • 今田は作詞も担当しており、本人によるとこの曲で作詞印税を20万円手にしたという[52]
  • チュンチュンワールド大和田りつこ、岡崎裕美、今田耕司、東野幸治、池谷幸雄、こどもコーラス元気隊名義、日本コロムビア、1994年10月21日発売。NHK「みんなのうた」)
  • チュンチュンワールド〜マジックカーニバル(大和田りつこ、岡崎裕美、こどもコーラス元気隊名義、日本コロムビア、1995年8月1日発売。NHK「みんなのうた」)
    • 「チュンチュンワールド」の第2弾楽曲で、この楽曲には今田、東野、池谷の3人は参加していない。が、カップリングに第1弾である「チュンチュンワールド」が収録されており、その際にサブタイトルが付き「チュンチュンワールド〜おげんきたいそう」となっている。
  • Lady Boy(大阪パフォーマンスドール Featuring 今田耕司、東野幸治名義、1994年11月2日発売、Epic/Sony Records)
  • SO・YA・NA(WEST END×YUKI from O.P.D.名義、Epic/Sony Records)
    • SO・YA・NA(1995年2月22日)
    • SO・YA・NA グレーテストヒッツ(1995年10月21日)
    • フォークがSO・YA・NA(1995年11月22日)
      EAST END×YURI」の楽曲「DA・YO・NE」を大阪弁でカバーしたCD。「EAST END×YURI」のパロディ企画ユニット「WEST END(今田耕司、東野幸治)×YUKI(武内由紀子)」を結成、1995年に発売された。「SO・YA・NA グレーテストヒッツ」1曲目・6曲目を石野卓球が手がけた。「フォークがSO・YA・NA」とアレンジバージョンも作られ、「DA・YO・NE」の方言カバーのご当地ソングを集めたCDアルバムにも収録されている。
  • テイ・トウワプロデュース作品リスト
    • ナウ ロマンティック(KOJI1200名義、1995年12月6日)
    • I LOVE AMERICA(アメリカ大好き!)(KOJI1200名義、1996年1月19日)
    • I LOVE AMERICA REMIX(アメリカ大リミックス!)(KOJI1200名義、1996年2月21日)
    • DUET!! (KOJI-12000名義、原万紀子とのデュエット、1997年11月27日)
    • DISGUSTING(KOJI-12000名義、1998年2月15日)
    • Shining Star(KOJI1200名義、2024年8月7日)
      Shining Starのみ、テイ・トウワはサウンドプロデュース、作詞は音葉名義で鈴木京香が担当。

受賞歴

脚注

外部リンク

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