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アグリッパ (哲学者)

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アグリッパ(: Agrippa古希: Ἀγρίππας1世紀末頃)は、古代ギリシアピュロン主義懐疑主義)の哲学者。判断保留(エポケー)の必要性を論証する「アグリッパの五つのトロープ(様式)」を体系化したことで知られ、その議論は後に「アグリッパのトリレンマ(またはミュンヒハウゼンのトリレンマ)」として知られる懐疑論の基礎を成している。

概要 研究領域・専攻分野, 専攻分野 ...
アグリッパ
研究領域・専攻分野
専攻分野 認識論
時代 ヘレニズム哲学
地域 西洋哲学
学派 ピュロン主義
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生涯

アグリッパの生涯について確実な情報はほとんど残されていない。同時代の他の文献にも言及が見られず、現在伝わっているのはディオゲネス・ラエルティオスの記述に依拠する間接的な情報のみであり、生没年・著作のいずれも不明である。活動時期は1世紀末頃と推定される。

思想

五つのトロープ

五つのトロープの内容そのものは、セクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要英語版』1.164–177 に詳細に記録されている。ただしセクストスはこれらの議論を「より新しい懐疑主義者たち」(οἱ νεώτεροι σκεπτικοί)によるものと匿名集団に帰すにとどまり、アグリッパの名前を挙げていない。アグリッパの名と五つのトロープを結びつけているのは、3世紀のディオゲネス・ラエルティオス哲学者列伝』9.88–89 における「アグリッパとその一派」がこれら五つのモードを導入したという記述であり、現存する古代資料の中でアグリッパを名指しでこの議論の創始者として伝えるのは、事実上この一節のみである。そのため、アグリッパが歴史上実際にこれらのトロープの最初の定式者であったか否かは、厳密には後代のドクソグラフィー的伝承に依拠した同定にとどまる。

五つのトロープは以下の通り。

  1. 不一致 - 哲学者たちの見解の対立から生じる不確実性。
  2. 無限後退 - 証明はさらに別の証明を必要とし、無限に遡及してしまう。
  3. 関係性 - 対象は観察者の立場や対象同士の関係によって異なって現れる。
  4. 仮定 - 主張は根拠を欠いた前提に依拠している。
  5. 循環論法 - 証明が論証されるべき結論を前提として用いてしまう。

このうち第1(不一致)と第3(関係性)のトロープは、先行するアイネシデモスの「十のトロープ」を要約したものであり、残る三つ(無限後退・仮定・循環論法)はピュロン主義思想の発展を示すものとされる。

アグリッパのトリレンマ

五つのトロープのうち「無限後退」「仮定」「循環論法」の三つは、あらゆる命題の正当化が陥らざるを得ない三つの行き詰まりを定式化したものであり、アグリッパのトリレンマ(またはミュンヒハウゼンのトリレンマ)として知られる。すなわち、いかなる主張の正当化も、

  • 無限の遡及に陥るか
  • 何らかの未証明の前提に依拠するか
  • 循環論法に陥るか

のいずれかに帰着するため、絶対的に基礎づけられた知識は得られない、という議論である。

用語と概念史

「五つのトロープから三つを切り出してトリレンマとして提示する」現代的な定式化は、アグリッパその人やセクストス・エンペイリコスに直接由来するものではなく、近代以降に段階的に成立した歴史的構築物である。

  • ヤコブ・フリードリヒ・フリース英語版 は『新しい、または人間学的理性批判』(*Neue oder anthropologische Kritik der Vernunft*, 1828–1831年)において、命題の根拠付けが「独断 (Dogmatismus)・無限後退 (regressus ad infinitum)・心理主義 (Psychologismus、知覚的経験への遡及)」の三項のいずれかに陥るとする最初の三項定式化を提示した[1]。ただしフリースの第三項は「循環論法」ではなく「心理主義」であり、後のミュンヒハウゼンのトリレンマと完全には一致しない。
  • カール・ポパー は『科学的発見の論理』(*Logik der Forschung*, 1934年)においてフリースのこの三項を引きつつ、独断・無限後退・心理主義のジレンマを論じた[2]。ポパーはアグリッパやセクストスに言及しておらず、英語圏の文献では本系統のトリレンマを「フリースのトリレンマ」と呼ぶこともある。
  • ハンス・アルバート は『批判的理性論考』(*Traktat über kritische Vernunft*, 1968年)において、(a) 無限後退、(b) 循環論法、(c) 独断的中止 の三項からなる行き詰まりを「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」と命名した[3]。アルバートの三項は、フリース/ポパー流の三項のうち第三項「心理主義」を「循環論法」へ置換した形であり、これによってアグリッパの五つのトロープのうち2(無限後退)・4(仮定)・5(循環論法)に対応するものとなった。これ以降、この三項定式化は「アグリッパのトリレンマ」とも呼ばれるようになった[注釈 1]

後世への影響と評価

古典的評価

19世紀フランスの哲学史家ヴィクトル・ブロシャール英語版は、その著『ギリシアの懐疑主義者』(1887年)において、アグリッパの五つのトロープを「これまでに与えられた哲学的懐疑主義の最も徹底的かつ最も精確な定式化」と評した[4]

トリレンマの自己適用問題

アグリッパのトリレンマを「正しい」とする命題T自身もまた、トリレンマが描く三つの行き詰まりに直面することが、古来指摘されてきた。具体的には、

  • Tを別の命題で正当化しようとすれば無限後退に陥り、
  • T自身もしくはそれを前提とする命題に依拠すれば循環に陥り、
  • Tを自明として議論を打ち切れば未証明の仮定(独断)に陥る。

すなわち、いかなる仕方でTを擁護しようとしても、T自身が記述する三角構造を反復することになる。この自己適用に対する解釈は、大別して以下の二つに整理される。

自滅説(論駁的読解)

トリレンマを純粋な認識論的主張(あらゆる正当化が三つの行き詰まりに帰着する)として解釈すれば、その主張自身がトリレンマの三角に直面するため、絶対的な正当化を持ち得ず、結果として強い論証としては自滅する、とする読解。この種の自己論駁による懐疑主義批判はピュロン主義に対する古代以来の定型的応答であり、アリストテレス派のアリストクレス・オブ・メッセネ英語版による批判(エウセビオス『福音の備え』14.18 に引用)などにその原型が見られる[5]

治療説(自己消去的読解)

他方、ピュロン主義者自身はこの自己適用を予期しており、T を真理主張(δόγμα、ドグマ)としてではなく、独断的な信念から離脱させるための治療的装置として用いている、とする読解がある。セクストス・エンペイリコスは『ピュロン主義哲学の概要』1.14–15、1.206–209 において、懐疑主義者の発話を下剤(καθαρτικόν)に喩え、患者の体内の有害物質を排出した後、自身もろとも体外へ排出されるものとして特徴付けている。この読みに従えば、T が自己適用によって消去されることは欠陥ではなく、ピュロン主義が意図する機能の完成形であり、最終目的であるアタラクシア(心の平静)に至るための過程として位置付けられる[6][7]

両解釈の対立は、ピュロン主義を「主張」として読むか「実践」として読むかという、古代懐疑主義研究における中核的論点と接続している[5]。なお、近現代の認識論においては、トリレンマの第3角(仮定)を「言語と知識の成立のための不可避の前提として積極的に引き受ける」とする立場(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン確実性の問題』に発するヒンジ認識論など)も、自己適用問題に対する体系的応答の一つとして提示されている[8]

ミュンヒハウゼンのトリレンマとしての継承

20世紀の批判的合理主義の哲学者ハンス・アルバートによって「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」と命名されて以降(命名史の詳細は前述)、アグリッパに帰される三項定式化は近代以降の認識論的基礎付けの不可能性を示す論証として、批判的合理主義および現代認識論の双方で繰り返し参照されている[3]

ヒュームの帰納の問題との関連

近現代の研究者は、デイヴィッド・ヒュームの提起した帰納の問題がアグリッパのトリレンマと構造的に類似することを指摘してきた。帰納原理を正当化するために帰納それ自身に訴えれば循環となり、より高次の原理に訴えれば無限後退または無前提の仮定に陥るためである[9]。ヒューム自身は懐疑論を反駁するのではなく、習慣 (custom) と自然 (nature) によって人間は信じざるを得ないという自然主義的帰結を引き出したが、この応答もピュロン主義の「現象 (φαινόμενα) に従って生きる」態度と機能的に近接するものとして読まれることがある[9]

現代認識論における応答

アグリッパのトリレンマは、現代の認識論における正当化の構造をめぐる議論の枠組みを提供し続けている。古代懐疑主義が想定したような「絶対的に基礎づけられた知識」を断念しつつ、「それでも知的探究をどう成立させるか」という問いに対し、20世紀以降の認識論はこのトリレンマを反駁する方向ではなく、トリレンマと共に生きる方法 を探る方向で多様な応答を展開してきた。主要な応答は「三つの角のうちどれを引き受けるか」という選択として整理されることが多い[10]。代表的な応答として以下が挙げられる。

  • 基礎付け主義(第3角=仮定を引き受ける) - それ以上の正当化を要しない「基礎的信念」(感覚与件、明証的命題など)を認める立場。
  • 整合主義(第2角=循環を引き受ける) - 正当化を線形の連鎖ではなく信念体系内部の網状の相互支持として再定義する。ローレンス・ボンジュア英語版初期やドナルド・デイヴィッドソンに代表される[11]
  • 無限主義(Infinitism、第1角=無限後退を引き受ける) - 悪性でない無限の理由連鎖を肯定的に擁護する立場。ピーター・クライン英語版の議論が代表的である[10]
  • ヒンジ認識論(第3角を「正当化ゲーム成立の条件」として再解釈) - ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン確実性の問題』に源流を持ち、ダンカン・プリチャードらが展開する立場。一部の「ヒンジ命題」は正当化される/されないの対象ではなく、正当化ゲームを成立させる蝶番として機能するとする[8]
  • プラグマティズム(第3角を機能的条件付きで引き受ける) - C.S.パース「信念の確定」(1877年)以来、探求は信念(=暗黙の仮定)から始まり、現実的な疑念が生じた場合にのみ修正されるとする伝統。保持される仮定は探求の中で機能している限りという条件付きで擁護される[12]
  • 信頼性主義(三角の問題設定そのものの組み換え) - アクセス可能な理由による正当化を要求せず、信頼可能な認知プロセスから生じた信念を正当化された信念とみなす外在主義的立場(アルヴィン・ゴールドマンら)。

脚注

参考文献

関連項目

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