アチュタ・デーヴァ・ラーヤ
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1529年、兄王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤが死亡し、宰相のヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤとクリシュナ・デーヴァ・ラーヤの娘婿ラーマ・ラーヤがその後継をめぐり争い、前者の推した王弟アチュタ・デーヴァ・ラーヤが王となった。
だが、アチュタ・デーヴァ・ラーヤとヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤはすぐに不仲となり、ヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤはケーララ地方の領主らと組んで王に反乱を起こしたが、これは鎮圧された。
その後、アチュタ・デーヴァ・ラーヤは兄王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの治世末期にビジャープル王国に奪われたライチュール地方に兵を送り、この地方を奪還した。
一方、1530年代、武将のサラカラージュ・チンナ・ティルマラという人物がケーララ地方に遠征するなどして功を挙げたが、彼の姉妹はアチュタ・デーヴァ・ラーヤの妃であった。
とはいえ、1540年頃にアチュタ・デーヴァ・ラーヤはラーマ・ラーヤの姦計に陥り、晩年にはその実権を奪われていた。 1542年、アチュタ・デーヴァ・ラーヤは死亡し、その幼い息子のヴェンカタ1世が王位を継承した。