サダーシヴァ・ラーヤ
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ヴィジャヤナガル王国の摂政トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの息子ランガ・ラーヤの息子として生まれた。
1542年、ヴィジャヤナガル王アチュタ・デーヴァ・ラーヤの死後、その息子ヴェンカタ1世が王位を継承した。だが、彼はまもなくその摂政であったサラカラージュ・チンナ・ティルマラに殺害され、その際に多くの王族もともに殺害されたが、サダーシヴァ・ラーヤは運よくグッティ城に逃げることに成功した[1]。
その後、サダーシヴァ・ラーヤは宮廷の実力者ラーマ・ラーヤ とその弟ティルマラ・デーヴァ・ラーヤに王として擁立されるに至り、ヴィジャヤナガルへと進撃した。
1543年中頃までに、ラーマ・ラーヤはサラカラージュ・チンナ・ティルマラを殺してヴィジャヤナガルを制圧し、サダーシヴァ・ラーヤは即位式を挙げ、ヴィジャヤナガル王となった。だが、当然ながら王国の実権は摂政となったラーマ・ラーヤとティルマラ・デーヴァ・ラーヤに握られていた。
1565年1月、ラーマ・ラーヤはデカン・スルターン朝との戦いに斃れ(ターリコータの戦い)、弟のティルマラ・デーヴァ・ラーヤはサダーシヴァ・ラーヤを連れ、南方のペヌコンダへ遷都する形で避難した。
1569年、サダーシヴァ・ラーヤは摂政ティルマラ・デーヴァ・ラーヤに王位を簒奪され、ここにトゥルヴァ朝は滅亡し、新たにアーラヴィードゥ朝が創始されることとなった。