シュリーランガ1世
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1569年、父王ティルマラ・デーヴァ・ラーヤは即位と同時に王国を3つに分けたが、シュリーランガは首都ペヌコンダを中心とするアーンドラ地方の長官に任命された。
1572年、父王ティルマラ・デーヴァ・ラーヤが老齢で退位したことにより、シュリーランガがシュリーランガ1世が王位を継承することとなった。だが、その治世、ヴィジャヤナガル王国は困難を極める時代になった。
タミル地方のシェンジ(ジンジー)、タンジャーヴール、マドゥライの有力ナーヤカは、王国内おいて半独立の政権を打ち出した。これらのナーヤカ政権は「ナーヤカ領国」あるいは「ナーヤカ朝」とよばれ、ヴィジャヤナガル王国の衰退要因の一つとなった。
そのうえ、シュリーランガ1世の治世、ヴィジャヤナガル王国の衰退に乗じて、ビジャープル王国やゴールコンダ王国の圧迫が一段と強まり、1576年には首都ペヌコンダがビジャープル王国の軍に一時包囲された。
1580年、ゴールコンダ王国が大軍を派遣してきたが、これはシュリーカーラハスティのナーヤカであるダーマルラ・チェンナッパ・ナーヤカが自らの命と引き換えに撃退した。