ジャッガ・ラーヤ
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1614年、父王ヴェンカタ2世は死の間際、甥のシュリーランガを次王に指名した。このとき、ジャッガ・ラーヤは落胤つまり非嫡出子であることを理由に継承を許されなかった。
同年、父王の死により、シュリーランガがシュリーランガ2世として王位を継承すると、ジャッガ・ラーヤはゴッブーリ家の支持を受け、シュリーランガ2世とその家族を殺害して王位を簒奪するに至った。
1616年末、シュリーランガ2世の遺児ラーマ・デーヴァ・ラーヤが挙兵するに至り、ジャッガ・ラーヤはマドゥライ・ナーヤカ朝やシェンジ・ナーヤカ朝から軍勢を集めて大軍を組織し、首都ヴェールール近郊のトップールでこれに挑んだ(トップールの戦い)。
1617年初頭、ジャッガ・ラーヤは戦いに負けて殺害され、新たにラーマ・デーヴァ・ラーヤがヴィジャヤナガル王となった。