アドルフ・ディックフェルト
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所属組織
ドイツ国防軍空軍
ヒトラー・ユーゲント
軍歴
1937–45
| アドルフ・ディックフェルト Adolf Dickfeld | |
|---|---|
| 生誕 |
1910年2月20日 ユーターボーク |
| 死没 |
2009年5月17日(99歳没) ドライアイヒ |
| 所属組織 |
|
| 軍歴 | 1937–45 |
| 最終階級 | 大佐 |
アドルフ・ディックフェルト(ドイツ語: Adolf Dickfeld、1910年2月20日 - 2009年5月17日[1][2])は、ドイツの軍人。最終階級は空軍大佐。第二次世界大戦では総出撃回数1072回、総撃墜数136機を記録した[3]エース・パイロットであり、その戦功から柏葉付騎士鉄十字章を受章した。
前半生
1910年2月20日にドイツ帝国盟主プロイセン王国ブランデンブルク州ユーターボークで生まれた。ディックフェルトの父は陸軍砲兵将校である。若くしてグライダーについて学んだ彼は、シュレージエン地方にあるグライダー専門学校に通い始め、そこで初飛行をしたが、その時彼に飛び方を指導したのはハンナ・ライチュである。その他にも、ヴォルフ・ヒルトやハイニ・ディットマーなど、ドイツを代表するグライダーパイロットから指導を受けた[4]。
第二次世界大戦

第二次世界大戦ではドイツ空軍第52戦闘航空団(JG52)や第2戦闘航空団(JG2)、第11戦闘航空団(JG11)に所属し、JG11では第II飛行隊飛行隊長を務めた。1942年5月18日には、ドイツ空軍8人目となる総撃墜数100機を記録している[5]。
ドイツの戦況が悪化した1943年以降、ヒトラー・ユーゲントも兵士として戦場に駆り出され始めると、ディックフェルトは空軍軍人の傍ら、ヒトラー・ユーゲントで飛行指導も行った。
通算撃墜数136機の内、128機を独ソ戦で落としている。また彼は、1945年4月11日にアメリカの戦闘機P-47をジェット戦闘機He162で撃墜したこともある。
